2016年12月04日

スリムだったころ

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神さまごとで、あちこちに出没(?)していたころの写真です。祠の前に立っているその後ろ姿がとてもスリムです。自分の後ろ姿を見ることはあまりないわけですが、今の私の後ろ姿とはだいぶ異なるような気がします。

周囲に白く見えているものは、不明のままです。神さまごとをしていると不思議なことによく出会いますから、そうしたものだと周囲の人たちは理解していたようです。
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2016年10月06日

Tsukinamisai(月次祭)を英語でご紹介します

日本の神社で行われる月並祭をご紹介します。当会の感謝祭は、月次祭に由来します。 Thanksgiving Day in our shrine derives from Tsukinamisai.

Tsukinamisai
One of the rituals from the ancient and medieval eras appearing in the Divinities Prescriptions (JingiryŌ). Carried out twice a year on the eleventh day of the sixth and twelfth lunar months. Attended by the ministers and lesser officials, the various hafuribe (official shrines’ liaisons to the Department of Divinities Jingikan) were gathered by summons and, after a ritual liturgy (norito) was performed, alms were dispensed to them. One-hundred ninety eight major shrines of the capital and surrounding five provinces, as determined in the Engi Regulations (Engi Shiki), were involved. The Grand Shrines of Ise (Ise jingū) were among these, but in Ise’s case, offerings were bestowed by an imperial messenger. The same night, the emperor performed an imperial ritual with him partaking of a sacred meal (jinkonjiki). The norito and program of the Tsukinami sai (i.e. the parts of the celebration that do not involve the ministers or emperor) have many elements in common to the New Year’s Celebrations (Shinnen sai), though lacks the prayers for the new harvest season found in the New Year’s Celebrations. The first historical record of the celebration appears in the Chronicles of Japan Continued (Shoku Nihongi), in the entry for the "fourth (kishi) day of the seventh lunar month, 702." There are many speculations about the origins, character and meaning of this ritual, but in recent years, some have argued that it was created during the RitsuryŌ reforms as the state ritual corresponding with the ancient jinkonjiki (which had been an imperial household ritual for preserving Ise). Motoori Norinaga advanced the theory that, given its name, the ritual was performed on a monthly basis. This theory is partially accepted, but no historical data exists to support it. The celebration continued up through the medieval era but was abolished in the fifteenth century, after the ōnin Disturbance. Also see Tsukinami sai (Ise jingū)

− Namiki Kazuko

Encyclopedia of Shinto by Kokugakuin University
http://eos.kokugakuin.ac.jp/modules/xwords/
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2016年03月05日

お守りなどの御魂(おたま)抜きは過酷な作業です

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幸運祭で、お守りやお札を新しいものに交換されます。古いお守りやお札をお持ちになります。先日、その御魂(おたま)抜きをさせていただきました。例年のことですが、体調に障るもっとも過酷な作業です。しばらく、咳き込んだり、下痢をしたりすることになります。

お渡しするまでに、十分に高い波動圏でお守りやお札を調製させていただいています。ところが一年お使いいただき、お返しいただくと、目の前が曇るような感じがするほどに、念のようなものが発せられています。それを清め上げさせていただきます。
posted by ほうとく at 10:24| Comment(0) | TrackBack(0) | ・神さまごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月21日

「なゐの神」は地震の神さま

ある地震を指す神さまや、地震を起こす神さまというのは、日本にはおられません。地震の神である「なゐ」の神さまは、日本書紀などにも記載されています。海にたくさんの神様がおられて「海の神」と称するように、地震の神さまがたくさんおられて、その神様を指すのが「なゐ(ない)の神」です。
posted by ほうとく at 22:41| Comment(0) | TrackBack(0) | ・神さまごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月27日

神道における汎神論

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汎神論は、人類のおよそ普遍的な共通認識だろうと考えます。汎神論そのものが、確固たる概念を有していないためです。汎神論は、すべての物や概念、法則が神の顕現、あるいは神そのものであるとします。信仰は、汎神論的傾向を基礎にします。

汎神論は、信仰上の矛盾をはらみます。すべてが神、あるいは神の現れであるのならば、神を扱おうとする人間そのものが神、あるいは神の現れとなります。それは無意味であり、また、宗教的指標で計る人の犯す罪、そのものを扱うことができなくなるのです。

汎神論には異なる二つの方向があります。「神が全てである」と「森羅万象が神である」は、意識する方向が異なっています。前者では、宇宙は、神や自我の様態または仮象と見なします。つまり宇宙の実在を認めないことになります。後者では、世界に神が及びます。その世界は実在していますから、その神はその世界に内在しているのです。アニミズム的な神道では、後者の立場に立ち、森羅万象が神性を負います。

実在する世界に神が内在するとき、その世界は、神そのものではありませんから、唯物論的存在を認めることができます。つまり日本人にとっての世界は唯物的存在であり、神性がすべてに及んでいると考えているのです。
posted by ほうとく at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ・神さまごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする