中学校の保健体育に「ルーの法則」、理科に「適者生存」が出てきたように思うのです。「思うのです」というのは、中学よりあとだったのか、教科書の文言にないことが参考書に書いてあったのか分からないのですが。
「ルーの法則」は
1、筋肉は使わなければ萎縮(退化)してしまう
2、筋肉は適度に使えば発達する
3、筋肉は過度に使えば障害をおこす
と習いました。
進化論の中で「適者生存」を、生物が進化する理由にしたのです。
「馬から落ちて落馬して」「いちばん最初」のような二重表現は、誤っていると小中学校で習ったはずです。実際、同じような言葉を反復させる修辞技法をトートロジーと呼び、現在では、芳しいものではないとされています。
ですから、「ルーの法則」の内容も「適者生存」の言葉も、子供ながらに違和感を感じるのです。
「ルーの法則」では、「適度に筋肉を使えば発達するが、適度ではなければ、萎縮や障害を起こす」のと、「筋肉が発達するのは筋肉を適度に使っているからで、筋肉が萎縮や障害を起こすのは適度に使っていないからだ」が同じように聞こえます。二重表現になっている、つまり何も説明していないのです。
また「適者生存」も「適した者が生存する」ことと「生存する者は適している」ことは、同じことを説明しています。
というのが、子供の時に教科書で感じた違和感でした。
その疑問から受ける長年のストレスは、ずっとあとになって氷解するのです。
ルーの法則は、ウィルヘルム・ルーの言い出したことです。彼の言っていることは、教科書の内容とやや異なっています。生理学における基本法則で、活動性肥大の原則、不活動性萎縮の法則、長期にわたる機能向上制限による器官の特殊な活動能力減退の法則、合目的的構造の機能的自己形成の原理です。それらは、トートロジーとは呼べないと思えます。それらを簡単にして、教科書に載せたようですが、教科書の文章しか知らない者が読めば、トートロジーに思えます。
社会進化論者のハーバート・スペンサーが「適者生存」を言いだし、チャールズ・ダーウィンが「種の起源」に使ったのです。前者では、生存競争に関わり、後者では生まれつきの適応力について、比喩的に使っています。本来的には自然選択(日本では自然淘汰説)なのです。ダーウィンの見いだした事実は、生き残ったものが、何らかの特質を有する故であると説明したのです。彼は、自然選択があって、生き残ったものを適者だと説明したのです。ですから、トートロジーではないのです。
教科書を書いた人(あるいは参考書を書いた人)は、「ルーの法則」も「適者生存」もトートロジーになっていると知っていたはずです。
学校では、習っている者(子供)が、それらについて説明するべき内容を含んでいない、つまりトートロジーだと看破すれば、背景を説明しなければならないでしょう。