2013年05月21日

「暇」の実現のために予定表に瞑想を

(関西弁まじりで読みにくいかもしれませんが、ご容赦を)。暇しとられん(暇にしていることができない)人がおります。ぼけっとしていたら、「なんかせな(何かをしなければ)」と思うわけです。手近な、それまで目もくれなかった文庫本でも読み出すわけです。あるいは引き出しの整理をはじめてまうわけです。

そうした人を「暇なおひとや」と周囲の人は思うわけですが、当人は、結局、気ぜわしくせなおられんわけです(気ぜわしくしていなければ、いられないのです)。

そうした人たちこそ、知っとります、「暇がええなあ(暇なのがいい)」と。そうでけへんのを(そうできないのを)、自分ができそこないやからや(できそこないだからだと)と気づきます。そこで、やっとスタート地点。頑張りまひょ。

暇を作らな(暇をつくらなければ)。どないやって(どんなふうに)? 空いとるとこを詰めんようにする。うーん、その通りやけど、「やめる」のは難しいなあ。なんかするダイエットや、ジムに通うことより、食べへん(食べない)ほうが難しい。つい、手が出る。ちゅうわけで(というわけで)、強制的に暇にするプログラムを組み込む、瞑想のような。

「そないにまでして暇にせなあかんか?」
「そや、あかん。偉い人が瞑想しとるやないか。政治家も、経営者も、ビジネスマンも」
「忙しいからビジネスマンや。それが暇やて、おかしいやろ。瞑想がよっぽど気持ちよおうて(よほど気持ちがよくて)中毒になっとんか、それとも瞑想したら儲かるんか」
「中毒は、ちゃうやろなあ(違うだろうなあ)。他になんぼでも気持ちようなるもんはあるやろ。ぽかっと空けるとええなあと知っとってしよるんやろ。偉い人らがなんか中毒になっとうなんて聞いたこたあない(聞いたことがない)。頑張ったら、なんぼでもええことがある人らがそれをやめる、って、なんか分からんけど、たぶん暇したらええことがあるんやろ。せやけど、それで金になるわけもないやろ」

きぜわしゅう(気ぜわしく)考え、動く。それは己が考え、己が動く。けど、その程度なんてしれたもんや。手ぇ出しとったら(手を出していたら)天から降ってくるもん、よう分からんけど、なんかごっついもんを受け取ってもたあ、のほうがええやろ。「あっ、そうかぁ」みたいな。

と言うわけで、ちょいと組んどいたろか(すこしばかり組んでみようか)、瞑想も。
posted by ほうとく at 22:22| Comment(2) | TrackBack(0) | ・幸福 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
中澤先生、
これは良いですわ〜。
オモシロイです。

瞑想、好きです。
自分がなんか温かくなってくる感じ。
満たされると言うか。

瞑想する時間を朝夕に取れたら
私いい人になれそうですよ。
Posted by 樽本 at 2013年07月31日 21:16
瞑想という何もしないことに時間を割くことが現実にはなかなか難しいわけですけれど、気持ちいいですよね(^o^)
Posted by ほうとく at 2013年10月11日 14:05
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