そうした人を「暇なおひとや」と周囲の人は思うわけですが、当人は、結局、気ぜわしくせなおられんわけです(気ぜわしくしていなければ、いられないのです)。
そうした人たちこそ、知っとります、「暇がええなあ(暇なのがいい)」と。そうでけへんのを(そうできないのを)、自分ができそこないやからや(できそこないだからだと)と気づきます。そこで、やっとスタート地点。頑張りまひょ。
暇を作らな(暇をつくらなければ)。どないやって(どんなふうに)? 空いとるとこを詰めんようにする。うーん、その通りやけど、「やめる」のは難しいなあ。なんかするダイエットや、ジムに通うことより、食べへん(食べない)ほうが難しい。つい、手が出る。ちゅうわけで(というわけで)、強制的に暇にするプログラムを組み込む、瞑想のような。
「そないにまでして暇にせなあかんか?」
「そや、あかん。偉い人が瞑想しとるやないか。政治家も、経営者も、ビジネスマンも」
「忙しいからビジネスマンや。それが暇やて、おかしいやろ。瞑想がよっぽど気持ちよおうて(よほど気持ちがよくて)中毒になっとんか、それとも瞑想したら儲かるんか」
「中毒は、ちゃうやろなあ(違うだろうなあ)。他になんぼでも気持ちようなるもんはあるやろ。ぽかっと空けるとええなあと知っとってしよるんやろ。偉い人らがなんか中毒になっとうなんて聞いたこたあない(聞いたことがない)。頑張ったら、なんぼでもええことがある人らがそれをやめる、って、なんか分からんけど、たぶん暇したらええことがあるんやろ。せやけど、それで金になるわけもないやろ」
きぜわしゅう(気ぜわしく)考え、動く。それは己が考え、己が動く。けど、その程度なんてしれたもんや。手ぇ出しとったら(手を出していたら)天から降ってくるもん、よう分からんけど、なんかごっついもんを受け取ってもたあ、のほうがええやろ。「あっ、そうかぁ」みたいな。
と言うわけで、ちょいと組んどいたろか(すこしばかり組んでみようか)、瞑想も。
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これは良いですわ〜。
オモシロイです。
瞑想、好きです。
自分がなんか温かくなってくる感じ。
満たされると言うか。
瞑想する時間を朝夕に取れたら
私いい人になれそうですよ。