写真 https://en.wikipedia.org/wiki/Riccardo_Muti
世界的に知られる指揮者、リッカルド・ムーティは、シカゴ交響楽団の常任指揮者だ。今年(2021年)、80歳。2022年度(2023年)まで契約は延長された。
ムーティには、芸術的な妥協がない。それが、意固地でもなく、清々しい。だから、多くの楽団、演出家、音楽家とトラブルが生じても、新たな場での活躍が用意される理由なのだろう。
彼は、イタリア人で、バーリ音楽院でピアノを専攻していた。音楽院オーケストラの公演で、予定していた指揮者が病気で演奏ができなくなった。ムーティが代役に抜擢されたが、彼は不安で一度、辞去している。しかし、簡単な拍子の振り方だけ教えられ強引に任された。そらが素晴らしい演奏になった。
チェリビダッケは、「音楽は『無』であって言葉で語ることはできない。ただ『体験』のみだ」「始まりの中に終わりがある」と語る指揮者で、他の指揮者を高く評価しないかったが、リッカルド・ムーティについては、「恐ろしく無知だが」「才能がある」と認めた。チェリビダッケが才能を認めたのはムーティだけだと言われている。
ムーティは、1971年に、ニュー・フィルハーモニア管弦楽団(1977年以降は「フィルハーモニア管弦楽団」)の首席指揮者に就任して以来、ロンドンには長く関わっている。しかし一部メディアが反ムーティを掲げて、聴衆の一部も反ムーティを激化させた。2005年にはスカラ座共同参画でロイヤル・コヴェントガーデン歌劇場に初登場する予定であったが、演出家と対立してキャンセルした。メディアは、さらにムーティ攻撃を強めた。2006年にフィルハーモニア管に登場したのち、2009年までフィルハーモニア管弦楽団演奏の機会がなかった。
フィラデルフィアの音楽監督に1980年に就任した。ポスト、カラヤン争いで候補に挙がったが、激務を理由にフィラデルフィアの音楽監督を1992年に辞任。
1986年、スカラ座の音楽監督に就任する。椿姫は、カラヤン以降上演されていなかったが、ムーティが上演した。彼は、ブーイング集団を秩序維持のために場外に追いやり、一部常連客らとの対立もした。2005年に、スカラ座の管弦楽団員と職員の投票により圧倒的多数で不信任を表明され、辞任した。
スカラ座辞任直後にシカゴ交響楽団に客演を要請され、その後、楽団のメンバーから多くの手紙や署名が届けられ、2010年からの音楽監督就任を決心した。就任前の2009年1月のコンサートで、人気が過熱した。支援者のチケットの入手が困難になって失望させた。そこでムーティは前例のない「スポンサー限定公開リハーサル」を実施して難局を乗り切った。
彼は、シカゴ交響楽団に期待されている演奏を理解して、指揮をしている。楽団を指揮しながら、自分自身を導いている。