2018年02月16日

成長とエゴ

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私たちは、いつでも、幸せを目指しています。より良い状況を希望しています。環境などの改善によって、自分を心地よくしたいのです。

家族を幸せにしたい。お金があれば、幸せになるはずだ。だから、お金を稼ぐ。きれいな服装をして、気持ちよくなりたい。そのために研究をするのです。おいしい食事を用意したいから、よい材料を用意し、調理を工夫するのです。それらは、とても楽しいことです。自分の目指すことのために喜んでできることです。

ところが、極めようとすると、お金を稼ぐために、面倒なことに出会うようになったり、きれいな服装を整えるために、それ以外のしたいことができなくなったり、おいしい料理のために、他の人の協力を必要とするようなことになったりするのです。

好ましい結果を得ようとして、手間隙が、思う以上に負担になってくると、好ましい結果を得るまでに作業を放棄することになるのです。それによって好ましい結果を得ることができずに、悩ましい思いを抱えることになるのです。

イヤなことを自分の心が知っています。その人の自分の領域の範囲で得心のいかないことに対して、感情が警告を発しています。

自分の思いと、宇宙の中にあるほんとうの自分とのギャップを、心が知らせています。ほんとうの自分の姿を超えようとしたとき、心がきしむのを感じるのです。ユニークな自分のやみがたい自分の欲望と、自分がしこり、他者を陥れることにしかならない己がための欲望は、いずれもエゴと称することになります。

しかし、差異があります。前者が、自己の成長の程度が大きく、周囲への貢献があるのに対して、後者は、わがままで、周囲に迷惑をかけることになっています。前者は、自己の成長によって、より偉大な何かに近接しようとすることで許されるのです。
posted by ほうとく at 12:57| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月14日

責める人が、気づくこと

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人さまを責めます。そうすると、どういうわけか、自分の心が痛みます。自分の心が痛むので、人さまを責めるのをやめようと思うのです。

ミラーの法則から気づかれる通り、相手を責めている内容が自分の問題点を見せられています。相手を責めている内容は、客観的な事実の指摘ではなく、自分自身のことでイヤだと感じている部分です。それを相手にすり替えて、責めるのです。

「あなたは、非常識なのよ」「きみは、ケチだね」「あの人のせわしなさといったら、、」「どんくさい人って、、、」
というような、ネガティブな言葉で、人さまを責めます。ところが、それらは、言っている当人が「非常識」「ケチ」「せわしない」「どんくさい」のであり、それをみずから改める時期が来ているしるしなのです。

自分のことは、分かりにくいものです。周囲の人が放つ悪口に耳を傾けてみましょう。言葉を巧みに選び、自分自身のことを言い表しているかに気づくことでしょう。
posted by ほうとく at 16:49| Comment(0) | ・幸福 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

人を責めない生きかた

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人の悪口を言っても、自分が正しい人になるわけではありません。自分の権利を主張すれば、人さまに苦痛を与えることも多いものです。

わたしたちの日常の多くの時間や手間は、自分自身、あるいは自分の身内の保身に費やされます。人の悪口を言うことで仲間を作ったり、自分のイヤなことを回避するために自分の権利を主張します。ところが、そうすることで、人を責めることになります。責められた側は、イヤな気分になり、それがもとで、体調を崩される方もいます。

責める人たちも、また、体調を崩したり、病気になるのをたくさんみてきました。仕事がうまくいかなくなったり、家族に問題が出たりします。わたしは、だれに対しても、責めるのをおやめなさいと言っています。目の前にいるその人のために、責めない生きかたをお勧めしています。人さまを苦しめ、自分も苦しむ必要はありませんから。

しかし、責めることをやめる方は、まれです。自分が正しく、相手が誤っているから、と説明されます。自分が正しいふりをするために相手を責めていることもあります。

また、責める人は、じつは責められている人です。いじめは、いじめっこが、だれかをいじめることです。いじめっこが悪いとされることは、当然だとされます。ところが、いじめっこは、家族の中で、いじめられると感じていることが多いものです。

俯瞰すれば、ただちに理解できることなのですが、責める人は、責められていて、一方で責めようとするのです。世間の多くは、日常的に責めない人であり、責められもしません。わざわざ少数派の責める人になって、自分のパワーを無駄に使わないことをお勧めします。
posted by ほうとく at 16:25| Comment(0) | ・幸福 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする