私たちは、いつでも、幸せを目指しています。より良い状況を希望しています。環境などの改善によって、自分を心地よくしたいのです。
家族を幸せにしたい。お金があれば、幸せになるはずだ。だから、お金を稼ぐ。きれいな服装をして、気持ちよくなりたい。そのために研究をするのです。おいしい食事を用意したいから、よい材料を用意し、調理を工夫するのです。それらは、とても楽しいことです。自分の目指すことのために喜んでできることです。
ところが、極めようとすると、お金を稼ぐために、面倒なことに出会うようになったり、きれいな服装を整えるために、それ以外のしたいことができなくなったり、おいしい料理のために、他の人の協力を必要とするようなことになったりするのです。
好ましい結果を得ようとして、手間隙が、思う以上に負担になってくると、好ましい結果を得るまでに作業を放棄することになるのです。それによって好ましい結果を得ることができずに、悩ましい思いを抱えることになるのです。
イヤなことを自分の心が知っています。その人の自分の領域の範囲で得心のいかないことに対して、感情が警告を発しています。
自分の思いと、宇宙の中にあるほんとうの自分とのギャップを、心が知らせています。ほんとうの自分の姿を超えようとしたとき、心がきしむのを感じるのです。ユニークな自分のやみがたい自分の欲望と、自分がしこり、他者を陥れることにしかならない己がための欲望は、いずれもエゴと称することになります。
しかし、差異があります。前者が、自己の成長の程度が大きく、周囲への貢献があるのに対して、後者は、わがままで、周囲に迷惑をかけることになっています。前者は、自己の成長によって、より偉大な何かに近接しようとすることで許されるのです。