2017年05月03日
信仰が日常の苦闘を除く
5月1日の感謝祭で「幸福と信仰」を「自由」や「クリエイター」を使って説明しました。その講話の中で説明した生きづらい日常を信仰で幸福にする方法を、加筆して本ブログに記載します。
日常は、面倒なことがあまりに多いものです。病気やその他のトラブルもあることでしょう。生きていくこと、あるいは、したいことをしようとするためにお金を稼いだり頭を下げたりしなければならないこともあるでしょう。出会ってしまうイヤなことに耐えたり、自分の望むようにするために努力をしなければならなかったりします。それらは不幸です。
信仰は、日常の苦悩を解消します。二つの方法があります。ひとつは、神頼みをすることです。病気治しなどの心願成就を祈願されるのは、その典型です。もう一つの方法は、信仰で自分のあるべき姿に立ち返ることです。
前者、神頼みは、仏教であっても、そうした心願成就の方法があります。自分の都合のよいことを実現させるので、その裏側、自分にとって都合の悪いことを呼びやすいのです。ですから、祈祷料をお支払いして神さまにお願いするのです。
後者は、思ったとおりに振る舞うことで、何の問題もなく過ごせるようになる方法です。自分のエゴを除くと純粋でユニークな自分が現れてきます。神域で過ごしたり、教えを学んだりすることで本来の自分を取り戻すことができます。宇宙の流れに沿ってそのままに振る舞うことで、好きなように過ごすことができるのです。
いずれの方法を用いても、この世での苦闘は、とりあえず解決しますので、幸福を獲得できます。その後、自分のままを認めるならば、問題は現れません。もっと成長したいと願うのならば、それに応じた苦闘をしなければなりません。目前の苦闘は、自分の成長の糧だと理解できますから、それも幸福なのです。