まじめに仕事をしている人たちは、自意識過剰で、しばしばストレスをため込みます。弱音を吐かないで仕事にがんばろうと努めているからです。
ただ仕事に疲れているだけだと思いたいのでしょうけれど、人生の指針に誤りや勘違いががあるのかもしれません。「先達はあらまほしきことなり」と徒然草の「仁和寺にある法師」にあります。
たわいのないことに見えながら、そこに生じている理不尽が大きなストレスになっているのです。頑張って仕事をして帰ってくると、嫁さんが自分勝手なことを言います。自分で仕事にがんばっていても給料が増えるわけではありません。残業がなくなってきたために給料が減ります。人のために役に立つと思って就いた仕事なのに、社内では、金儲けの話ばかりでした。こき使われるだけで、仕事に満足感がありません。勉強できると思っていたら、営業に忙しくて、時間が自由になりませんでした。
仕事への期待が大きかったせいか、仕事場でも家庭でも、その思いを整理できないせいか、会社への不満の思いが徐々に募ります。そうした思いを持っていることが体裁の悪いことだと自分で知っています。人さまに知られないように、そして自分で納得できるように、自分に言い訳をします。そうすると、その自分が惨めになります。
友人たちは、理解してくれているように見えます。ところが上辺だけだと気づくことがあります。恋人もそうです。結局、周囲にいるのは自分と同類の仲間であったというだけのことでした。
上司や両親に気づかれたくないと隠しています。元気に振る舞っても、いよいよ空元気(からげんき)でしかなくなります。
両親が亡くなっている人は幸いです。仏壇で、ほんとうの姿を見せるしかないのですから。両親がご健在ならば、どのように調整をすればいいのでしょうか。せっかく就いた仕事で、「辛い」「もうだめだ」とは言いたくないのです。心配をかけたくないからです。
3日目であきらめるのはもちろんよくないことでしょう。3週間でも、3カ月でも、あきらめないほうがいいのかもしれません。石の上にも3年。ということは、3年間は頑張る方がいいのでしょうか。
ご両親は、仕事や社会について、より多く知っていることでしょう。悩み苦しんでいる子供のことも、よく分かるはずです。だからこそ多くを尋ねないかもしれません。もし、一緒に暮らしていないのならば、一カ月に一度以上、顔を見せたほうがいいかもしれません。ご両親の空気を吸うためにです。それでも、両親に言えないことがあります。
苦しんでいる己の問題を、周囲のだれも解決できない。そうした問題が生じていることをだれにも知られたくない。そこで立ち止まります。ほんとうの答えに向けて思いめぐらせるのです。
そうすると、それまでの思いや考えが堂々巡りをしていることに気づきます。つまり自分が後生大事にしている常識やルールに誤りがあるのです。己の根幹が揺らぎ始めます。自分一人では心が折れそうになります。ここで先達が必要なのです。
photo 著作者:Joey L.
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