ぼくの子どものころ、まだ国鉄の駅の近くの高架下には、たくさんのシューシャンボーイがたくさんいた。「shoes shine boy」だろう。そのころ、すでにシューシャンボーイではなく、靴磨きのおじさんたちだった。彼らはどこに行ったのか、高架下で見ることはなくなった。
「国鉄」も現在「JR」と呼ぶ。祖母は「省線」と呼んでいた。見た目には同じように鉄道があっても、その呼称も変わる。高架下の風景も時代によって変わっていく。
ぼくが知っているのは、戦後すぐのことというほどに昔のことではない。だから「おじさん、靴を磨かせてよ」などという少年のシューシャンボーイはいなかった。靴磨きの人たちのだれもが、そこそこの年齢に見受けられた。
ぼくが、学校を卒業してまもなくの頃だったろう。ぼくは、ときどき彼らに靴を磨いてもらうようになった。同じ場所で磨いてもらっていた。だから、同じおじさんだったのだろう。
足載せ台にぼくの片足を置いて、人生の先輩に靴を磨いてもらう。低いいすに座った靴磨きのおじさんの頭上から眺めながら、ぼくはいつも照れくさかった。それでも、ときどき磨いてもらいに行った。彼らの手に掛かるとあっと言う間に、ピカピカに磨き上げてくれる。
もしかすると、ぼくらがシューシャンボーイに靴を磨いてもらった最後の世代になるのかもしれない。もう、その同じ場所で靴磨きのおじさんを見かけなくなった。
ぼくは、自分で靴を磨きながら、彼らの使い込んだ道具や、たちまち磨き上げる技をときどき思い出す。