2014年01月26日

今年一番にいただいたバレンタインデーのチョコレートです

早い!

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今年の一番。セントバレンタインデーのチョコレートを、早々と、いただきました。カードになっていて、けっこうかわいらしいものです。贈ってくださる方のお気持ちがよく分かるチョコレートです。ありがとうございます。

締切りなどはございませんので、どなたさまでも、いつでも、どうぞ、どうぞ(^o^)
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2014年01月25日

食事に専念して、豊かな人生の方向に向かう

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家族や心なごませる友達と食事をする喜びや満足は、日常の何にも代え難い時間かもしれません。ところが一方で、一人で食事をするか周囲の人と関係なく食事をする人もおられます。

新聞を読みながら、テレビを見ながら、仕事の書類を見ながら、書籍を読みながら、音楽を聴きながら、あるいはパソコンやスマートホンをさわりながら、食事をする人も多いことでしょう。食事中に「ながら」ができる人は、そばに家族や友人がいないか、いても関係を絶っている状態にあります。

その時間を使って豊かな人生へ方向づけることができます。じつに簡単です。食事に専念することです。「ながら」を全部、止めて、30分間、あるいは15分間でも良いでしょう。自分の決めたその時間、食事に専念してみましょう。食事の後にコーヒーを飲む習慣のある人ならば、食事と一緒に用意するか、喫茶店などならば、食事を注文したときに、コーヒーも注文しておくのです。

食事以外に何もしないでよい時間です。ですから、ゆっくり食事を楽しんでもかまいません。食事を素早く済ませる人ならば、5分で食事を終えてしまうかもしれません。それもかまいません。コーヒーを飲んだり、カップを撫でたりするのです。30分間、あるいは15分間、そこでじっとしているのです。あまりきょろきょろしないほうがよいでしょう。仕事机で食事をしている人は、ついパソコンを操作しようとするかもしれません。じっと堪(こら)えてください。ふっとマウスに手がいっても、クリックしなければ、セーフです。

余計なことをしないことが、どれほど豊かなことかと実感することでしょう。余計なことをしないことが、あなたに豊かさをもたらす理由に気づかれたでしょうか。「ながら」でしていたことに、自分が依存していたのです。そこで自分を見失ってしまっていたのです。食事に専念することで、自分を取り戻したのです。ですから、自分の心に豊かさを感じることができるようになったのです。

豊かさを実感すれば、それが一日の他の時間も自分に豊かさをもたらすように誘導しはじめます。一人で食事をする機会が一日に一度ある方ならば、お試しあれ。
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2014年01月17日

平成二十六年 阪神淡路大震災、東日本大震災 追悼の集い式辞(文化国家、日本の創成--物財から知財へ)

「平成二十六年 阪神淡路大震災、東日本大震災 追悼の集い式辞(文化国家、日本の創成--物財から知財へ)」全文を掲載しました。

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本日ここに、阪神淡路大震災、東日本大震災追悼の集いを執り行うにあたり、それらの震災や津波でお亡くなりになりました併せて二万六千人の方々の御霊(みたま)に対し、謹んで哀悼の意を表します。そして、今なおその後遺症に苦しんでおられる方々に対し、心からお見舞いを申し上げます。

十九年前の今日、一月十七日の早朝の地震により、阪神間から淡路にかけて多くの被害がありました。多くの家屋やビルディングが倒壊し、多くの方々がお亡くなりになりました。お亡くなりになった方の多くが、家屋や家具の下敷きになり、あまりに短い時間のうちに圧死されています。また火災に巻き込まれ、お亡くなりになった方も多くいらっしゃいます。

阪神淡路大震災で、兵庫県は、創造的復興を目標に都市改善を進めました。人と防災未来センターに財団法人ひょうご震災記念二十一世紀研究機構があり、そこに「市民による追悼行事を考える会」の事務局が置かれています。わたくしも「市民による追悼行事」の呼びかけ人をさせていただいています。

震災時、私自身も震源に近い神戸の中央区に住んでいました。建物は無事だったものの、部屋の中に整然と並んだ精一杯に生きた証が、震災で崩れ落ちたのです。私は、肉体的には無傷(むきず)でした。しかし、社会のなかで組み上げた価値が崩落し、生きることの意味を失わせたのです。そばにいる友人の支えで、死の誘惑からまぬがれました。翌日には、神戸をあとにし、出雲、津和野で三週間を過ごし、その後、二年間、明石でお世話になりました。言い尽くせぬ感謝です。

自分の拠り所を離れて、暮らさせていただきながら、生かされることでしか生きられないことに気づかされたのです。人は、神に見守られ、人に支えられて生きるのです。生かさせていただく幸せは、周囲の人さまの尽力のたまものです。

阪神淡路大震災の後すぐに、ご神前に供えた食べ物を、震災でお亡くなりになった霊体の方々にお供えしました。霊体の方々が群がるようにお越しになりましたが、人の姿とは思えぬお姿を見せられた方もいらっしゃり、驚くばかりでした。

お亡くなりになった方々の慰霊や供養は、生きている私たちにとって、価値ある活動です。神域での慰霊を神計らいによって執り行わせていただけることで、私たちの祈りが、まっすぐに霊体に働きかけます。ここには、お亡くなりになった方々が、お喜びになる配慮があるのです。そして霊体の方々にお喜びいただくことは、生きている私たちが、これから心地よく過ごさせていただく糧なのです。

平成二十三年の三月十一日の午後に宮城県沖を震源とした日本の観測史上最大の規模の地震と、それによって生じた大津波で、多くの方が水死などでお亡くなりになり、また行方不明となられています。また原子力発電所の大きな事故を引き起こしました。

東日本大震災では、ソーシャルメディアを含む世界中のメディアが、私たちの誇るべき特質を伝え、私たち自身がそれに気づかされたのです。東日本大震災の被災者の我慢強さが、日本中に、そして世界中に印象づけられました。それは、一人ひとりが独立しているのではなく、その全体に人智の及ばない配慮があって、周囲の人たちと共同体を形成していることを知っているからです。

ここ、兵庫県姫路市において、本日の集いに臨み、私は、大きな自然災害によって生じた大きな苦難の解決が、どなたにとっても難しく、今後、大きな苦難を招かないように、また不測の事態によって負った心の傷を、どなたもが安心して治癒できる社会の実現に取り組む必要を再確認しました。

明治以降、日本は、世界に伍して物財の豊かさを求め、成功しました。近々では、経済は、昭和から平成に移るころがピークになりました。平成七年の阪神淡路大震災で、経済の陰りを見せ、東日本大震災で日本の工業社会にとどめを刺しました。資源エネルギーの多消費のつまづきは、私たちが気づいていた心の傷みを明らかにしただけなのかもしれません。貴い犠牲を日本の未来に活かすために、私たちは、先人のたゆむみなく努めて得た知財を無駄にすることなく、日本の文化的社会の創成によって心ゆたかな社会の実現に勤(いそ)しみ勤めることを、御霊(みたま)の前にお誓い申し上げます。

終わりに、阪神淡路大震災と東日本大震災でお亡くなりになられた方々のご冥福と、ご遺族並びに被災者の方々の今後のご多幸を心からお祈りし、併せて参列者並びに関係者の皆様方のご健勝をご祈念申し上げます。

平成二十六年一月十七日
修生会 会長 中澤鳳徳
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2014年01月14日

相手のそのままを気配で知る

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人さまと話していて、その言葉に心地よくなったり、不快な気分になることもあります。しかし、相手は、社会で、あるいは家族の中で精一杯にしているのです。彼のほとんどの部分は、あたりまえに人さまや家族の役に立ち、満足を与えているのです。ところが、その人に接したときに、その人の全体の百に一つか、あるいは万に一つが感情を揺さぶり、魅力的に見えたり、癇に障るのです。

だれもが周囲を正しく知ることはできません。自分の経験と感覚を通じて周囲を見るからです。人さまを、自分の経験と感覚の範疇で見ることは、自分の知る範囲でしかその人を見ていないことになります。

それではその相手をそのままに見ることはできないのでしょうか。できます。感情で相手をとらえないことです。さらに理屈でとらえないことです。つまり気配として、相手をとらえるのです。

多くの場合、相手に見えているのは、自分の感情が揺り動かされた部分です。相手の姿や行動や言動に自分が不愉快な気分になったとすれば、不愉快になっているのは自分自身で、それを相手だと勘違いしてしまいます。

そこで、感情を揺らがせないで相手を見ることができるとしましょう。しかし、相手を言語で理解しようと努めると、やはり誤ります。言語によって、枠組みを決めることができます。しかし、実際には枠組みがあって、相手がその中にあるのではなく、相手がそのままにあるのを、見ている人が、自分の枠組みの中に収めようとしているにすぎません。

言葉による枠を作らずに、気配として感じる相手が、ほんとうの相手の姿なのです。

写真 杖を突きながら歩く老婆 by いしだひでヲ
写真素材 足成  http://www.ashinari.com/
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2014年01月03日

「平成二十六年元旦大祭式辞」だれもが、だれかのために生きたい

平成二十六年の新春を謹んでお慶び申し上げます。

年の初めの大神様へのご挨拶を皆さまとともに述べさせていただけましたことに、感謝いたします。

今年一年のご守護を賜れますようわたしたちのそれぞれが志を新たにする祀りごとになったことと思います。

皆さまにとって、昨年は、どのような一年だったでしょうか。お一人おひとりの運気に左右されるばかりではなく、世間全体の流れと同期する部分もあります。この現実の世界は、私たちの本源、霊的な世界と密接にリンクしています。人類、そして皆さんのお一人おひとりの魂の成長にふさわしい現実が用意されるのです。ですから、私たちは、世界の流れを知って私たち自身を磨いていく道しるべにすることができるのです。

昨年の元旦大祭で、平成二十五年は、荒れ狂うような破壊的なことが生じやすく天候、天災や事故や紛争で多くの人命が奪われるかもしれません、とお伝えしました。一年経ってみると、フィリピンの台風、ロシアに隕石落下、中国四川省の地震、米国オクラホマ州の竜巻、スペインの列車事故、ブラジルのナイトクラブの火災で、多くの死傷者がでているのが、そうだったように思えます。

また巳(へび)は再生の象徴、新たな何かが生まれる時期だとも、お伝えしました。現実にはローマ法王に初の中南米出身枢機卿がなり、二〇二〇年の夏季五輪とパラリンピックの開催地が東京に決定したこと、TPP交渉参加表明、富士山が世界文化遺産に決定など、今後の再生の象徴なのかもしれません。

それでは、今年、平成二十六年甲午(きのえうま)の年はどうなのでしょうか。甲(きのえ)は、十干の第一であり、十年ごとの最初に還(かえ)る年です。甲の文字は、田の部分が堅い殻で被われている状態で、そこから、下に突き出た部分が殻を突き出したことを表します。十干の十個の文字の筆頭である甲の文字が春の芽生えを表しています。現実世界では、しっかりした現在の体制に綻びが生じ、改革の動きが始まることかもしれません。

午年の午は、一日で言えば正午、午前午後の午です。真昼を表わしています。その前までの陽からその後の陰に気が反転することを表しています。さらに午は「忤(さからう)」に通じています。陰が起って陽と争い、隆盛と衰退とが錯綜しています。陽気による外に向った爆発的な力を凝縮させ、内部充実に向わせる力です。社会の成熟を促し、同時に変革を必要としているように見えます。

昨年九月に「明日は今日より幸せになりたいから」という薄緑色の表紙の小さな冊子を発行させていただきました。メールマガジンに日々書き綴ってきたひとことを集めたものです。皆さんからお読みいただいているご様子をお聞かせいただくたびに、無事発行できた安堵と至らぬところがなかったかと思うところです。

日常は、どなたにも膨大な理不尽を提供します。それが、私たちの成長の糧です。私たちに配慮されたほんとうの道は、過酷に見えます。それを克服するには、心の支えが必要です。先に用意させていただいた小冊子が、皆さんの支えになっていることをしばしば聞き、嬉しく思っています。また、そうした心の支えを必要としている方は、皆さんの周囲にもたくさんおられることでしょう。私たちは、いつでもそうした方々に手を差し伸べ、支えてあげるように努めたいものです。

私たちのだれもがいつでも、正しくあろうとし、そうして弱いことに気づく日々の中で、だれかに支えてもらいたいと願うわけです。そこに手を差し伸べてくださる方がいらっしゃいます。私たち自身も、周囲のお辛い方に応えて上げたいのです。そうした何にも代えがたい、だれかのために生きたいというほんとうのことを、わたしたちは心の底で見紛うことなく知っているのです。

真理に基づく人類の普遍的な価値や叡智を、私たちは、この修生会で受けることができます。当会の「大憲章」にある「日本の最高文化国家建設と世界平和に寄与することを目的と」しての活動に、お集まりの皆さんは参画することができるのです。

現始大神様の下(もと)においでの会員の皆様方のおひとりおひとりに偉大な配慮と託された役割があります。そのお計らいに感謝し、どなたもが安心立命と世界人類の平和の実現のために努力精進させていただきたいものです。

新しい年を、皆様方とともに神様のご守護を受けて、健やかで、幸多き日々に過ごさせていただくことができますように心よりお祈り申し上げます。

平成二十六年元旦
          修生会会長 中澤鳳徳
posted by ほうとく at 11:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする