昨日、実践会で「姫路城の守護神、長壁(おさかべ)明神と妖怪、長壁姫」をお話ししました。
姫路ゆかたまつりは、一昨日(6月22日)から今日(6月24日)までです。それは、姫路城の守護神、長壁神社(おさかべじんじゃ)の例祭にちなみます。1732年に城主になった榊原政岑(さかきばらまさみね)が、長壁神社の遷座祭で、町人が参加しやすいように浴衣での参加を認めたというのです。
姫路城に係わる守護神の長壁明神と天守閣に出てくる妖怪、長壁姫を実践会で扱いました。夏ですから、妖怪話もよいかもね、と思ったのですが、甘かったようです。私がきちんと長壁明神と長壁姫をおさえておかなかったので、その隙を突かれたかっこうです。もちろん、妖怪を押さえつけて身動きできないようにして、という意味ではなく、きちんと把握して、腹におさめていなかったので、という意味です。
話が、混乱しまくりで、キツネに化かされたような気分です。ですから、姫路城にはキツネが係わっているのかもしれません。
姫路城の城主は、頻繁に交替しています。江戸時代、徳川幕府270年間で15代に比べて、池田輝政から6氏31代、赤松貞範の築城から言えば、530年、13氏48代が城主を務めています。何か特別な理由がその城にあるのかもしれないのです。
輝政も会ったという長壁姫が関係しているのかもしれません。天守に棲み、一年に一度城主に会うといいます。3メートルの長身、あるいはコウモリを伴う年老いた姫、あるいは人の心を読み、人の心を弄ぶといいます。ツツネだとか、蛇だとか、といろいろに言われます。
あるいは、長壁明神のお祀りの仕方に理由があるのかもしれません。羽柴秀吉の改築前までは、城内に長壁明神が祀られていたのですが、改築で、城下に移され、その後、射楯兵主(いたてひょうず)神社の摂社になり、池田輝政が、入城して、病に倒れると、長壁明神の祟りだと、城内の八天堂に移され、藩主が松平になると、再度城下に移し、榊原にかわると、城内の社殿の再建で、城内と射楯兵主神社内の二社併存となりました。
長壁明神は、刑部(おさかべ)親王だといいます。忍壁皇子(おさかべ のみこ)とも書きます。天武天皇の皇子で、壬申の乱にも係わっています。つまり、時間的にはかなりの隔たりのある7世紀の皇族です。その方が、係わっているということになります。
姫路ゆかたまつりに参加して、長壁神社にお参りされる方もいらっしゃることでしょう。姫路駅から数分のところにあります。姫路城や城主との関わりを思いながらお参りされることもよいことかもしれません。