2013年04月27日

宗教教誨師って?

日常の生活では、宗教教誨師(きょうかいし)の肩書に出会うことはありません。ふだんはお坊さんであったり、神主さんであったり、牧師さんや神父さんです。宗教家はたくさんいらっしゃいますが、その中で、ほんとうにわずかの方が、法務省からたいそうな身分証をいただいて、矯正施設内で、受刑者の方に宗教的な講話をなさっています。

兵庫県と神奈川県では、宗教連盟が教誨師を推挙し、法務省が認めるという手続きになっています。勉強会もあったり、ほとんど手弁当で、その負担は小さくはないことだろうと思います。

教誨は、矯正施設、つまり刑務所で、収容者、受刑者の徳性の育成や精神的救済を行うことです。一般教誨は、刑務官や法務教官などが行う道徳や倫理の講話で、全員参加です。宗教教誨は、宗教的な講話で、自由参加です。

兵庫県の宗教教誨師は、115名。半数以上が仏教です。浄土真宗本願寺派がその内の三分の一を占めます。

映画やドラマで、宗教家が死刑囚が死刑執行直前に登場します。と言いながら、それは拘置所内で、教誨師がふだん行くところではありません。
posted by ほうとく at 09:41| Comment(0) | TrackBack(0) | ・兵庫県単立宗教法人連合会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

アインシュタインが第四次大戦の兵器を「石と棍棒」と答えています

インタービュアー
「第二次世界大戦では原子爆弾が兵器として利用されましたが、第三次世界大戦が起こったら、どのような兵器が使われると思いますか?」

アルベルト・アインシュタイン博士
「第三次世界大戦についてはわかりませんが、第四次大戦ならわかります。石と棍棒でしょう。」

彼にはシナリオが見えているのでしょう。第三次世界大戦があれば人類の文明は崩壊する、と。
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家庭を不安定にする夫の浮気のほんとうの理由

「浮気」はよくない、という常識があります。ごもっともです。家族をお持ちの方ですと、浮気のために家庭内が芳しい状態ではなくなります。

私が相談を受けるのは、夫が浮気をしているという話ばかりです。ご婦人からの相談が多いのですから。伺うところでは、正しいのは妻である自分で、間違っているのは、浮気をしている夫、という話です。

奥様方はみなさん、たいそうにお怒りです。あるいは、悲しみ、自殺願望、殺意、自暴自棄もあります。

そして、奥様方の思いや振る舞いは、尋常ではなくなります。夫がするのだからと、自分も浮気をする。賭事にお金を使ったり、友達と食事に頻繁にいく。韓流のスターを追って韓国に行く。習い事や友達づきあいで、家事をしない。

相談者のお話を伺うほどに、私には、別のことも見えています。相談者の身勝手な感情、エゴの部分と、心の底で感じているほんとうの思い、真心というのか、神さまの御心(みこころ)に添うお気持ちの部分、そのギャップが、本人を苦しめています。それは辛く悲しいことだとよく分かります。

目の前に見えている不具合は、自分の不具合を示す鏡です。「夫の浮気で嫌な気分になった」というのは「あなたの浮気を改めなさいよ」、あるいは「あなたが夫に尽くしなさいよ」と言うしるしなのです。

芸能界の若い男の子に気がいっている、夫を放っておいて息子と仲良く過ごす時間が多い。そうした思いや振舞いは、あなたのエゴに基づくものです。その過(あやま)ちをあなたに気づかせる配慮が、夫の浮気なのです。夫の浮気であなたの真心に気づくようにさせているのです。

若い男の子へのあなたの思いや息子への振舞いに、ご主人は気づいていないかもしれません。それでも不思議なことに、夫は浮気をするのです。ほんとうのところ、夫は、浮気をしていないかもしれないのです。夫が浮気をしているとあなたが思い、いやな気分になれば、目的は達するのです。

夫の浮気で、あなたが気を揉む必要はまったくありません。あなたが気づき、学ぶ機会を用意されたにすぎません。その機会を配慮してくださったことに感謝しましょう。

私たちが生きていく上で、たくさんの理不尽な、あるいは不愉快な事柄に出会います。それらは、周囲の不出来ではなく、周囲で不快に感じた自らの不出来を示すものです。それが、気づき、反省し、学ぶための教材です。この配慮は、人類の英知を越えています。あなたに働きかけている神さまのご配慮を、そこに見いだすことができるのです。
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2013年04月26日

季節の野菜のお供えや境内の草引きに感謝です

イカナゴの釘煮や、ワラビ、タケノコ、ホウレンソウなど季節のものをお供えいただいたり、境内の草引きや掃除や花壇の手入れをしていただいたりします。神さまへの思いがなければ、できないことを、皆さんにしていただきます。そうした心遣いをしていただくみなさんに感謝。のし袋でのお供えや、お酒やお菓子のお供えをしていただくことにも、もちろん感謝です。ほんとうにありがとうございます。
posted by ほうとく at 21:46| Comment(0) | TrackBack(0) | ・幸福 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ゴールデンウィークの「ええカッコウ」をお勧めしません

学校や仕事場、あるいはソーシャルネットワーク(SNS)で、「ええカッコウ」をする人がたくさん出てくるかもしれません。

ゴールデンウィークに、どこそこに行った、こんなに充実した毎日だよ、おいしいものを食べたよ、と自慢をするのは、今に始まったことではありません。

だれでも見栄を張って、「ぼくはリア充(現実が充実している)だよ」というポーズをとりたいわけです。今のはやりは、SNSで自分のリア充を披露すること。人さまのリア充をSNSで見せられて、惨めになりたくないから、負けずに披露するのです。

完全な偽装ではないわけです。事実、どこかに行ったり、おいしいものを食べたことでしょう。でも、自分自身がほんとうにしたかったことではなく、SNSで見栄を張ったのです。

おいしそうな、あるいはおしゃれな食事に行って、わざわざ写真を撮る。それを披露する。それが幸せかなあ。自分の心の底の方で、叫んでいないかなあ。

「似おうとらへんで(似合っていないよ)」「えろう贅沢してもたなあ(とても贅沢をしたものだ)」
posted by ほうとく at 13:52| Comment(0) | TrackBack(0) | ・幸福 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする