心地よくあの世に旅立つための3つのこと「信心しておくこと」「死を知ること」「家族と仲よくしておくこと」を感謝祭で説明しました。それはまじめに生きる人の指針となります。死が近づくと、家族との意思疎通が困難になります。ですから当人と周囲の人の死生観が異なると、最期の医療や葬儀で思わぬことが生じ、大往生を妨げるかも知れません。自分自身のふだんからの生き方や考え方が、家族に影響し、それが結局、どのような自身の最期になるかを決めるのです。
死を免れることはできませんが、魂は不滅です。輪廻転生(りんねてんしょう、りんねてんせい)は、仏教やヒンズー教の専売特許ではなく、古代エジプトでもギリシアにもありますし、世界中の宗教が霊魂の不滅を説きます。
人生で抱えたいろいろなものを、あの世に持っていきたいでしょう。しかし、現在の日本では棺桶には、あなたが大事にしてきたコレクションやお金などもほとんど何も入れてもらえません。肩書も勲章もあの世で役立たなさそうだと、皆さんがご存じです。ですから、私たちは、心穏やかにあの世に向かうために、するだけのことをして、心を整えておかなければならないのです。
一つ目の「信心しておくこと」は、神様でも仏様でも、あるいはご先祖様でも信心して、ふだんからお勤めをしておくことです。
ご相談を受ける中で、亡くなられた方が心地よくなさっているのは、生前、神信心をなさっていたか、とても宗教的な方です。そうした方は、迷いなくあの世に向かえるのでしょう。信仰している対象の方、神さまや仏さまにあの世にお導きいただけるのです。
二つ目は「死を知ること」。あの世に行ってきたという方はまれです。私も今回の人生では、この世からあの世に行くプロセスを見てきたわけではありません。よく知らないところにいくことは、だれでも不安なものです。「死ぬのは怖い」というのは、正しいと思います。しかし、だいたいの道筋を知っていれば、心配はありません。
寝ます。そうすると、ふつうは起きます。ところが生涯に一度だけ、起きてこなくなります。それが死です。ずっと寝ているだけのことです。
すでにあの世に行った家族やペットが、三途の川の向こうに、迎えに来ています。臨死体験をなさった方の本をお読みになるのもいいことでしょう。あの世は、この世とほとんど変わりません。
新興住宅地のようなところもあり、道で立ち話をする奥様方もいらっしゃり、仕事の好きな方はあの世でもお仕事をなさっています。そして、戦争の好きな方は戦争をなさっています。
三つ目は「家族と仲よくしておくこと」です。これは案外大事なことです。自分の命を、人の手ではなく、神の手に委(ゆだ)ねるために、心地よくその時を迎えるために、そして期待している祀り方をしてもらうために。
人生の経験が増えてくると、だれにも寿命としか言いようのない時までの命があると気づきます。「生かされている」と気づきます。病弱でも長寿の方もいらっしゃるし、健康的でも短命の方もいらっしゃる。事故に遇っても生き長らえる方もいらっしゃるし、突然に不用意にもお亡くなりになる方もいらっしゃる。そして、そのご家族を見ると、なるほどと得心することがあります。それまでからの因縁のようなものや、その後のご家族のために、配慮されていたことだと、分かることも多いものです。つまり、人の命は、人智を越えるものに委ねられているということです。
自分の肉体の持つ力で病気から快復するから健康なのです。一時的に健康を大きく損ねても、病院の設備を駆使し、お医者様の力をお借りし、自らの肉体にさまざまな手だてをして、快復することもあるでしょう。それは、自らの肉体が治癒(ちゆ)する力を有しているからです。しかし、そうした医療の手間暇を費やしても、身体が快復の方向に向かわなくなる時がきます。それは、寿命が近いのです。
神さまに委ねられた寿命を越えるための医療などの精一杯の努力は、当人に苦痛などを与えながらのことです。そうしても快復しない場合、つまり、寿命が近づいてきた時には、当人の意思が明瞭でなくなるかもしれません。そうしたとき、痛みがあろうと、意識が明瞭でなかろうと、この世で生かせてあげればいいのか、心地よくあの世に旅立たせてあげればよいのかを家族が決めなければならないのです。
だれでもが就寝し、目覚めます。それが思わぬ時に起こされればどうでしょうか。「ほおっておいてよ」「もう少し寝させてよ」と思われることもあるでしょう。安眠を妨げられた不快感は、心乱します。生涯で一度きりの永遠の眠り、あの世への旅立ちを妨げれば、この世にいることができますが、心乱すことになります。
無事に人生を終えても、自分の期待する葬儀やその後の祀り方になるかどうかは、生きている家族がすることですから、思い通りにならないこともあります。あの世から、家族の様子を見たら、思ったとおりではなかったというのでは、死んでも死に切れません。
残された事業が当人の人生の成果であったり、残された財産がご両親から受け取っていたものであったりします。それが大きなものであればあるほどに、神々の配慮や多くの人さまのお力をお借りしていることを当人は知っています。ですから、そうした方々に報いたいと願うことでしょう。しかし、亡くなったあとでは、あとに残された周囲の人には、分かりにくいものです。ですから、事業や財産も、生前にその後の配慮をした方がよいと思います。
周囲の人に何も言わなくても、思っていたとおりに葬儀や祀り方をしてもらえるような生きざまを示しておくことが最善です。あるいは、心置きなく最期について話ができるように家族とよい関係であることが必要です。
家族や周囲の人と仲よしであれば、弔辞に言ってもらいたいことも盛り込まれ、お供えしてもらいたい食べ物も供えてもらえることでしょう。
以上の3つのこと「信心しておくこと」「死を知ること」「家族と仲よくしておくこと」を念頭におきながら、この世でできるだけのことをして、あの世で神さまや親しい人に「よくがんばったね」と言って迎えてもらえるようにしたいものです。
平成24年7月1日の感謝祭の講話(中澤鳳徳)を整理加筆しました。