暑い時期なので、長く持たないだろうと思います。とても残念なことです。というわけで、どなたさまでも玄関の花を見に来てくださいね。
2012年07月31日
暑い盛りですが、皆さん、お元気ですか? 今月の玄関のお花です
さきほど、花を活けていただきました。明日の感謝祭も、お越しになったとき、そして帰り際に、玄関で楽しんでくださいね。
暑い時期なので、長く持たないだろうと思います。とても残念なことです。というわけで、どなたさまでも玄関の花を見に来てくださいね。
暑い時期なので、長く持たないだろうと思います。とても残念なことです。というわけで、どなたさまでも玄関の花を見に来てくださいね。
2012年07月29日
いじめられているきみを、守護霊さんはいつも見守っている
だれだっていじめられるのは、嫌なことだ。ぼくもそうだ。いじめられたくない。
でもね、ぼくもいじめられてきたよ。いじめられたくないことと、いじめられることは別のことだ。いじめられたくないのに、いじめられる。だからつらい。「なんでこんな目にあうんだろう(なぜこのような目にあうのだろう)」って、思っていたよ。
ぼくは、たぶん、きみより年寄りだ。だから、人生が長い分だけたくさんのいじめにあっているかもしれない。
きみは、毎日、いじめられながら、こんなはずはないって思っていることも、ぼくには、よく分かるよ。
きみの優れた部分がうまく活(い)かせなくて、そればかりか、いじめにあっているなんて、きみはくやしいはずだ。きみのほんとうの姿をだれも知らない、、、、、と思う?
いじめている相手は、きみのことで知らない部分もある。でもきみのことで嫌な部分があるから、いじめているんだ。それは間違いない。
昔の人は「お天道様が見てござる」とよく言っていた。お天道様や神さまがきみのことを知っていても、何の力にもなってくれないように見えるかもしれないね。でも、もっと間近にきみのことを知っている方がいるんだよ。きみにずっと付き添っている方がいるのに気づいている? 守護霊(しゅごれい)と呼ばれる方だ。
守護霊さんは、きみのことを、ほんとうに何でも知っているんだよ。でもね、こうしなさい、ああしちゃダメとおっしゃることはほとんどないんだ。でしゃばりの霊体や幽霊も多いけれど、守護霊さんは、きみを守る使命を果たすために、ずっとそばにいて、でも手出しをしないんだよ。それって不思議だろう。いじめてくる相手をやっつけてくれたらいいのに、と思わない?
事故できみの命の危険が迫ったときに、間一髪で助かった、というようなことは、神さんか、守護霊さんのおかげかもしれない。
でも、毎日苦しんでいる人を助けるために活動なさる守護霊さんを見たことがない。たぶん、守護霊さんは、メチャ偉い方に止められているんだと思う。どの守護霊さんも、そうなんだよ。「ええっー、そんなの守護霊でもなんでもないじゃん」ってきみは思うだろう。
現実に起こっているいじめを知っているのに手出しをなさらない。だから、守護霊さんは、とても悲しそうだったり、辛(つら)そうだったりする。守護霊さんがいつもそばにいて、きみの身の回りに起こっていることを知っている。だのに手助けできない辛さは、きみの辛さ以上かもしれない。
辛い毎日を過ごしているきみだからこそ、そばにいる守護霊さんの気持ちもよく分かるはずだ。きみが辛いとき、こっそり聞いてごらん。タオルを持って、自分の部屋にこもるんだよ。そして聞いてみてごらん。
「ぼくの守護霊さん、いらっしゃる? ぼくはこんな目にあっているんだ。辛いんだよ。もうだめなんだ。あいつらには会いたくもないのに。こんなに一生懸命に生きてきたけど、なんでこんなことになるんだろう」みたいなことを、心の中でつぶやいてごらん。悲しくって、辛くって、くやしくって、ときみが思うでしょ。その時、きみとまったく同じように守護霊さんも感じているのが分かるよ。精一杯伝えてみてごらん。きみのことを全部知っている方がいるって、はっきり分かるよ。
守護霊さんの感じがつかめたら、ぼくに報告してくれると嬉しいな。メールでも手紙でもいいよ。そのことを神さまにお伝えするよ。
ぼくのきみへのもう一つのお願いは、きみに精一杯長生きをしてほしいってこと。きみが長生きをして、大人になってから、あるいは老人になってから、守護霊さんがそのとき手助けをしてくれなかった理由に気づいてほしいんだ。すっごい愛情だと分かるよ。そして、きみは深遠な宇宙の仕組みのいくらかを、かいま見てしまったことに気づくよ。
でもね、ぼくもいじめられてきたよ。いじめられたくないことと、いじめられることは別のことだ。いじめられたくないのに、いじめられる。だからつらい。「なんでこんな目にあうんだろう(なぜこのような目にあうのだろう)」って、思っていたよ。
ぼくは、たぶん、きみより年寄りだ。だから、人生が長い分だけたくさんのいじめにあっているかもしれない。
きみは、毎日、いじめられながら、こんなはずはないって思っていることも、ぼくには、よく分かるよ。
きみの優れた部分がうまく活(い)かせなくて、そればかりか、いじめにあっているなんて、きみはくやしいはずだ。きみのほんとうの姿をだれも知らない、、、、、と思う?
いじめている相手は、きみのことで知らない部分もある。でもきみのことで嫌な部分があるから、いじめているんだ。それは間違いない。
昔の人は「お天道様が見てござる」とよく言っていた。お天道様や神さまがきみのことを知っていても、何の力にもなってくれないように見えるかもしれないね。でも、もっと間近にきみのことを知っている方がいるんだよ。きみにずっと付き添っている方がいるのに気づいている? 守護霊(しゅごれい)と呼ばれる方だ。
守護霊さんは、きみのことを、ほんとうに何でも知っているんだよ。でもね、こうしなさい、ああしちゃダメとおっしゃることはほとんどないんだ。でしゃばりの霊体や幽霊も多いけれど、守護霊さんは、きみを守る使命を果たすために、ずっとそばにいて、でも手出しをしないんだよ。それって不思議だろう。いじめてくる相手をやっつけてくれたらいいのに、と思わない?
事故できみの命の危険が迫ったときに、間一髪で助かった、というようなことは、神さんか、守護霊さんのおかげかもしれない。
でも、毎日苦しんでいる人を助けるために活動なさる守護霊さんを見たことがない。たぶん、守護霊さんは、メチャ偉い方に止められているんだと思う。どの守護霊さんも、そうなんだよ。「ええっー、そんなの守護霊でもなんでもないじゃん」ってきみは思うだろう。
現実に起こっているいじめを知っているのに手出しをなさらない。だから、守護霊さんは、とても悲しそうだったり、辛(つら)そうだったりする。守護霊さんがいつもそばにいて、きみの身の回りに起こっていることを知っている。だのに手助けできない辛さは、きみの辛さ以上かもしれない。
辛い毎日を過ごしているきみだからこそ、そばにいる守護霊さんの気持ちもよく分かるはずだ。きみが辛いとき、こっそり聞いてごらん。タオルを持って、自分の部屋にこもるんだよ。そして聞いてみてごらん。
「ぼくの守護霊さん、いらっしゃる? ぼくはこんな目にあっているんだ。辛いんだよ。もうだめなんだ。あいつらには会いたくもないのに。こんなに一生懸命に生きてきたけど、なんでこんなことになるんだろう」みたいなことを、心の中でつぶやいてごらん。悲しくって、辛くって、くやしくって、ときみが思うでしょ。その時、きみとまったく同じように守護霊さんも感じているのが分かるよ。精一杯伝えてみてごらん。きみのことを全部知っている方がいるって、はっきり分かるよ。
守護霊さんの感じがつかめたら、ぼくに報告してくれると嬉しいな。メールでも手紙でもいいよ。そのことを神さまにお伝えするよ。
ぼくのきみへのもう一つのお願いは、きみに精一杯長生きをしてほしいってこと。きみが長生きをして、大人になってから、あるいは老人になってから、守護霊さんがそのとき手助けをしてくれなかった理由に気づいてほしいんだ。すっごい愛情だと分かるよ。そして、きみは深遠な宇宙の仕組みのいくらかを、かいま見てしまったことに気づくよ。
2012年07月13日
祖母の言いつけを守ると、お風呂でぽかぽかになります
風呂から上がろうとするとき、ときどき祖母を思い出します。祖母は、すでに亡くなっています。私が子供のころに、私に言っていたことがあります。肩まで浸かって百を数えて風呂から上がるようにと。だから今も、お風呂に入っていて、そのことを思い出したら、温度を少しあげて、肩まで浸かって、百数えてお風呂から上がります。そうすると身体がぽかぽかです。
2012年07月12日
食事をしながら男は、自分の命を考えている
男が食事をしているときに考えていることなど、男同士で話すことでもなく、家族に話すことでもない。
朝食をしながら、男が一人で考えていることは、この食事がこの世の食事の最後になるかもしれない、この食事を終えて、仕事場に行けば、戻って来られないかもしれない、ということだ。どれほどにあるのか知らない寿命を抱えて、仕事場で命を削って、そこで尽きるかもしれない、仕事に耐えられずに命を絶つかもしれない、名誉のために命を投げ出さなければならないかもしれない、予期せぬことで果てるかもしれない。朝食は見納め、食べ納めだ。
夕食をしながら、男が一人が考えていることは、命が尽きず、図らずも家族のもとに戻ってきて、もう一食いただける幸せだ。今朝にした命の限りがんばる決意も費(つい)えたのか、みっともないながらも命ながらえて戻ってきて食事をいただく幸せ。
と、考える男がいる。
朝食をしながら、男が一人で考えていることは、この食事がこの世の食事の最後になるかもしれない、この食事を終えて、仕事場に行けば、戻って来られないかもしれない、ということだ。どれほどにあるのか知らない寿命を抱えて、仕事場で命を削って、そこで尽きるかもしれない、仕事に耐えられずに命を絶つかもしれない、名誉のために命を投げ出さなければならないかもしれない、予期せぬことで果てるかもしれない。朝食は見納め、食べ納めだ。
夕食をしながら、男が一人が考えていることは、命が尽きず、図らずも家族のもとに戻ってきて、もう一食いただける幸せだ。今朝にした命の限りがんばる決意も費(つい)えたのか、みっともないながらも命ながらえて戻ってきて食事をいただく幸せ。
と、考える男がいる。
2012年07月10日
学校で習う「ルーの法則」と「適者生存」に子供ながらに感じた違和感の解決
「背の低い人は、背が高くない」とか「すべての日本人は、日本の国籍を有している」は、意味のある文章ではないとだれでも気づきます。似たようなことが学校の教科書には載っていて、子供でも「あれ?」と感じるのです。
中学校の保健体育に「ルーの法則」、理科に「適者生存」が出てきたように思うのです。「思うのです」というのは、中学よりあとだったのか、教科書の文言にないことが参考書に書いてあったのか分からないのですが。
「ルーの法則」は
1、筋肉は使わなければ萎縮(退化)してしまう
2、筋肉は適度に使えば発達する
3、筋肉は過度に使えば障害をおこす
と習いました。
進化論の中で「適者生存」を、生物が進化する理由にしたのです。
「馬から落ちて落馬して」「いちばん最初」のような二重表現は、誤っていると小中学校で習ったはずです。実際、同じような言葉を反復させる修辞技法をトートロジーと呼び、現在では、芳しいものではないとされています。
ですから、「ルーの法則」の内容も「適者生存」の言葉も、子供ながらに違和感を感じるのです。
「ルーの法則」では、「適度に筋肉を使えば発達するが、適度ではなければ、萎縮や障害を起こす」のと、「筋肉が発達するのは筋肉を適度に使っているからで、筋肉が萎縮や障害を起こすのは適度に使っていないからだ」が同じように聞こえます。二重表現になっている、つまり何も説明していないのです。
また「適者生存」も「適した者が生存する」ことと「生存する者は適している」ことは、同じことを説明しています。
というのが、子供の時に教科書で感じた違和感でした。
その疑問から受ける長年のストレスは、ずっとあとになって氷解するのです。
ルーの法則は、ウィルヘルム・ルーの言い出したことです。彼の言っていることは、教科書の内容とやや異なっています。生理学における基本法則で、活動性肥大の原則、不活動性萎縮の法則、長期にわたる機能向上制限による器官の特殊な活動能力減退の法則、合目的的構造の機能的自己形成の原理です。それらは、トートロジーとは呼べないと思えます。それらを簡単にして、教科書に載せたようですが、教科書の文章しか知らない者が読めば、トートロジーに思えます。
社会進化論者のハーバート・スペンサーが「適者生存」を言いだし、チャールズ・ダーウィンが「種の起源」に使ったのです。前者では、生存競争に関わり、後者では生まれつきの適応力について、比喩的に使っています。本来的には自然選択(日本では自然淘汰説)なのです。ダーウィンの見いだした事実は、生き残ったものが、何らかの特質を有する故であると説明したのです。彼は、自然選択があって、生き残ったものを適者だと説明したのです。ですから、トートロジーではないのです。
教科書を書いた人(あるいは参考書を書いた人)は、「ルーの法則」も「適者生存」もトートロジーになっていると知っていたはずです。
学校では、習っている者(子供)が、それらについて説明するべき内容を含んでいない、つまりトートロジーだと看破すれば、背景を説明しなければならないでしょう。
中学校の保健体育に「ルーの法則」、理科に「適者生存」が出てきたように思うのです。「思うのです」というのは、中学よりあとだったのか、教科書の文言にないことが参考書に書いてあったのか分からないのですが。
「ルーの法則」は
1、筋肉は使わなければ萎縮(退化)してしまう
2、筋肉は適度に使えば発達する
3、筋肉は過度に使えば障害をおこす
と習いました。
進化論の中で「適者生存」を、生物が進化する理由にしたのです。
「馬から落ちて落馬して」「いちばん最初」のような二重表現は、誤っていると小中学校で習ったはずです。実際、同じような言葉を反復させる修辞技法をトートロジーと呼び、現在では、芳しいものではないとされています。
ですから、「ルーの法則」の内容も「適者生存」の言葉も、子供ながらに違和感を感じるのです。
「ルーの法則」では、「適度に筋肉を使えば発達するが、適度ではなければ、萎縮や障害を起こす」のと、「筋肉が発達するのは筋肉を適度に使っているからで、筋肉が萎縮や障害を起こすのは適度に使っていないからだ」が同じように聞こえます。二重表現になっている、つまり何も説明していないのです。
また「適者生存」も「適した者が生存する」ことと「生存する者は適している」ことは、同じことを説明しています。
というのが、子供の時に教科書で感じた違和感でした。
その疑問から受ける長年のストレスは、ずっとあとになって氷解するのです。
ルーの法則は、ウィルヘルム・ルーの言い出したことです。彼の言っていることは、教科書の内容とやや異なっています。生理学における基本法則で、活動性肥大の原則、不活動性萎縮の法則、長期にわたる機能向上制限による器官の特殊な活動能力減退の法則、合目的的構造の機能的自己形成の原理です。それらは、トートロジーとは呼べないと思えます。それらを簡単にして、教科書に載せたようですが、教科書の文章しか知らない者が読めば、トートロジーに思えます。
社会進化論者のハーバート・スペンサーが「適者生存」を言いだし、チャールズ・ダーウィンが「種の起源」に使ったのです。前者では、生存競争に関わり、後者では生まれつきの適応力について、比喩的に使っています。本来的には自然選択(日本では自然淘汰説)なのです。ダーウィンの見いだした事実は、生き残ったものが、何らかの特質を有する故であると説明したのです。彼は、自然選択があって、生き残ったものを適者だと説明したのです。ですから、トートロジーではないのです。
教科書を書いた人(あるいは参考書を書いた人)は、「ルーの法則」も「適者生存」もトートロジーになっていると知っていたはずです。
学校では、習っている者(子供)が、それらについて説明するべき内容を含んでいない、つまりトートロジーだと看破すれば、背景を説明しなければならないでしょう。