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ハワイマウナケアの火口 by ayamu
http://www.photolibrary.jp/神仏を祀るときに、ご神体、あるいは仏さまの手前にお供え物を置きます。米、お酒、海産物、野菜、果物、玉串、菓子鏡餅、生花などが供えられます。それが日本の常識です。
無病息災のご祈願でも安産や地鎮祭などでも、あるいは、個人の家屋でも神棚を設けて、神饌(しんせん)と呼ぶ供物を捧げ、家内安全や招福を祈願するために供物を捧げて祈願します。
ご神前でお供え物をするのは、神さまがそれを使われるのかもしれないと想像できます。あるいは、私たちが感謝し、あるいは信仰していることを明らかにするためかもしれません。神さまに供物を捧げる習慣は、古来からの神道儀礼です。
古来から世界中でお供え物をしています。しかし現在の私たちが神仏に供えるお供え物と似ているとは限りません。
日本では、稲作中心の農耕文化であったためか、新米など新しい五穀を供えて、その年の収穫に感謝し、豊作を祈願します。天皇家で行なわれる新嘗祭もそうした行事です。
生きていた動物を供えることもあります。神社で海のものとして鯛やめざしを供えることや、アイヌの方々の儀礼でイオマンテを執り行うことです。供物に動物を屠(ほふ)ることは、現在の日本ではまれなことだと思われています。
ところが古代から現在まで世界中を見渡すと、生贄(いけにえ)に頻繁に出会います。
『日本書紀』の「皇極天皇元年(642年)」に牛馬を生贄にした記録があります。当時の遺跡からは牛の頭骨など考古学的にも確かめられています。雨乞いのために牛馬を殺し、それを神に奉げたのです。『旧約聖書』『レビ記』にある贖罪の日に捧げられるヤギが「スケープゴート」の語源です。マヤ文明ではピラミッドの頂上で太陽の神に生贄がささげられました。旧約聖書でも新約聖書でも生贄が扱われます。
動物ではなく、人間を神への生贄にするのが、人身御供(ひとみごくう)です。
日本神話では、ヤマタノオロチの生贄として女神であるクシナダヒメが奉げられようとしました。それはスサノオノミコトによって阻止されました。ヤマトタケルの妻であるオトタチバナヒメは荒ぶる神を鎮めるために身を奉げたのです。日本の城の建築に人柱の言い伝えがあります。旧約聖書にはアブラハムが神のお告げによって末息子のイサクを生贄にしようとする話があります。
生け贄や人身御供は、世界中に見られます。そして人身御供は、アニミズム(精霊信仰)に由来すると考えられています。
そこで今回は、世界中で古代から行われてきた宗教儀礼の供物に託された意味を考えてみます。
今回、扱わない部分があります。日本でお米を供えることが、古代の日本の成立期の権勢の移動に関わっていることと、明治まで仏教の影響で殺生を避けてきたことで、これまでの探求会で扱ってきました。祖霊信仰として、私たちがご先祖さまに喜んでいただけるようにお供えをすることについては、近日発行のメールマガジンに「ご先祖さまへのお供え」として取り扱うつもりです。
ご興味がありましたら、お気軽にお越しください。
□日時 / 2月18日(土) 午後1時半から午後3時半
□場所 / ホテル日航姫路1階ファウンテン個室
・電車 JR姫路駅 中央改札口南へすぐ/山陽電鉄姫路駅より徒歩5分
・お車 姫路バイパス姫路南インターチェンジより車で3分
□費用 /1万円 (参加時にお支払いください)
□講師 / 中澤鳳徳
・参加される方は、お電話などでお知らせいただけると幸いです。
電話 079-245-0780