私たちは、仕事上の付き合いや、親戚や知り合いとの付き合いと言った人間関係が大事だと知っています。そして、当然のことながら、過去を思い出して、あの人は、優しい人だ、良い人だ、付き合いにくい人だ、と評価します。
しかしどの方にも個性があります。彼らに対する評価は「思い出した」側の思いだと分かります。すぐそばにいつもいるわけではないから、「思い出した」のです。自分とその方との関係している最後の部分を思い出すのです。つまり別れ際です。
あなたのおうちにお客さまがお越しになることもあるでしょう。仲良くしたい方です。お越しになるときに、お菓子を持ってお越しになります。「仲良くしてね」という印です。お迎えして、お茶をお出しして、ひととき歓談をして、とても楽しいひとときを過ごしたはずです。それで目的を達したと互いが思うはずです。
多くの場合、お見送りする方は、精一杯の笑顔で、お客さまが見えなくなるまでお見送りします。しかし「私、お茶の後片付けをするわ。玄関、分かるかしら。お見送りしないけど、またね」と言って、あなたがお見送りをしなければ、たぶんそのお客さまは、楽しい歓談のことを忘れて、帰り際にぞんざいに扱われたことを思い出すことでしょう。
大事な人に対して、私たちは、別れ際を大事にしなければならないのです。お客さまに対しても、家族に対してもです。
出勤時に玄関で奥さまに気持ちよく見送ってもらったことが、ご主人さんの記憶になるのです。戻ってくるまでの十数時間、反芻しているかもしれません。お見送りは、とても大事なセレモニーだと分かります。
ご主人さんが出勤します。分かりきったことです。ですから奥さまの見送りは必要がないと合理的に思う方もいらっしゃいます。しかし感情は合理的ではありません。お見送りのときの芳しくない記憶の挽回は、お戻りになるまでできません。
ご主人さんが戻って来られたときの玄関でのお出迎えは、就寝までのひとときを楽しくできるかどうかの起点です。しかし迎え損ねても、就寝までの時間に挽回できます。
お見送りをしないことで、ご主人さんをいやな気分にして、ご主人さんがそれを反芻して強く記憶にとどめないことを祈るばかりです。