2010年07月31日

床に天津甘栗を一粒落としました

さきほど小皿に盛った数粒の天津甘栗をいただいていました。そのとき一粒を床に落としました。跳ねて床を転がりました。無事見つけることができました。そこで手で持って、水で洗って、口に入れました。水滴のついたそれもまた美味でした。

物を落とすという粗相(そそう)をしたことが、はじめに問題なのですが、天津甘栗を動物の霊が欲しがって床に落ちたのか、何かのお知らせなのかといろいろに思いめぐらせました。

私が子供のころ、食べ物を落としたとき、水で洗ったり、息を強く吹きかけ、汚れを払って口にしたのを見たことがあります。当時はそうするものだと思っていました。

ところが落とした物を食べる姿を、最近、周囲で見なくなりました。床に落ちた物を食べるのは、衛生的でないかもしれませんし、ゲンも悪いでしょう。だれもが行儀がよくなって、粗相をしなくなったのか、隠れて洗って食べるのか、こそっと捨ててしまうのか、「もったいない」という言葉を発する機会もないのです。しつけが十分できて、大事に物を扱うことができれば、物を床に落とすことがないような振舞いができるでしょう。

わたしたちは、食べ物を大事にすることと、食べ尽くすことが同じではないことを知っています。しかし食べ物を大事にできないならば、自分をさげすむことになりそうだと気づきます。
posted by ほうとく at 16:41| Comment(0) | TrackBack(0) | ・古神道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

昨日、平成22年度兵庫県単立宗教法人連合会宗務行政連絡会、総会でした

晴天に恵まれた中、兵庫県公館で行われました。多くの方々のご尽力で、無事、催すことができました。一年に一度の恒例の行事でも、最善を尽くし続けなければ、心地よい当たり前の行事にできません。世間の変化、県の側の、また連合会側のそのつどの都合や希望も踏まえて、必要な手立てを講じながら、今年も無事盛会にできました。皆さま方のおかげです。

当日、少し早いかなあと思いながら、定刻の4、50分前に私も到着しましたが、連合会の役員の方々、県の職員の方々は、すでにみなさん、お揃いになっていて、用意をしてくださっていました。ありがとうございます。

大きな会議室に用意されたトラック型(ロの字型)に囲んだ席に着きます。兵庫県単立宗教法人連合会総会の協議事項は滞りなく進みました。宗務行政について、県庁の担当の方から、事務的な内容を法律に照らしてちゃんとしなさいよ、ということを、いつもながら懇切にご説明いただきます。

知事のご祝辞を賜りました。昼食をしながらの歓談です。私の席は、知事の正面です。首長である知事と多くの教団の主が会することなります。

組織のトップは、どなたもが自分の都合というのではなく、相手のことをおもんばかって、いろいろに配慮をし、またお話をしていただけます。連合会の会長という立場があっても、その立場でまだまだ修行だなあと思うことばかりです。支えてくださるどなたにも感謝です。
posted by ほうとく at 16:35| Comment(0) | TrackBack(0) | ・兵庫県単立宗教法人連合会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月27日

2010年07月26日のつぶやきTwitter

NakazawaHotoku 気分がいいから、良いことが起きる。だから神社に参拝 | http://eeg.jp/ofQ7 at 07/26 12:08

NakazawaHotoku @m_wizard いってらっしゃい(^o^) at 07/26 17:22

posted by ほうとく at 00:15| Comment(0) | TrackBack(0) | twitter | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月25日

気分がいいから、良いことが起きる。だから神社に参拝

「なんだか気分がすぐれないなあ」と思いながら出かけると、道路の段差でけつまずいたり、いらない買い物をしたり、友人と気まずい会話になったりと「踏んだり蹴ったり」になります。引き寄せの法則に従っているのでしょうね。自分で呼び込んでいるのです。

だとすれば「気分がいいなあ」からスタートすれば、どうでしょうか。

ステキな人とすれちがった、思わぬ掘り出し物を買ってしまった、ちょっと寄り道をしたつもりが、とてもきれいな景色に出会えた、ということになるのです、たぶん。

どなたもが「気分がいいなあ」からスタートしていただきたいと、わたしは思うのです。

当会の本部建物の一階の神殿にお参りされた方が、しばらく座り込んで、玄関から出られるときに、「すっきりした」「気持ちがいい」とおっしゃられて出かけて行かれます。

日常でのケガレを神殿で落とし、すっきりした気分になって、その後、数日間、きっと良いことを招いていらっしゃるに違いありません。

「気分がいいなあ」を一カ月間ぐらい維持していただけるといいのですが、多くの方は3日間ぐらいですね(^_^;  というわけで、ケガレを落とせる場所にときどきお参りくださいね。
posted by ほうとく at 14:28| Comment(0) | TrackBack(0) | ・健康 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

病気からの快復〜春庵先生の「送藤文輿還肥之序」より

病気は、わたしたちの望むものではありません。しかし、ときに病に臥せることがあります。闘病は、当人の肉体的にもとてもたいへんなことがらです。自身の気持ち、家族の心労を思うと、わたしたちがご神前で奏上させていただく無病息災も切実なものです。

本居宣長は、国学者として知られていますが、医師をしながら国学の研究をしたのです。医師としてのお名前が春庵です。

春庵先生は、医師の友人、藤文輿(とうぶんよ)が肥前に戻るときに「送藤文輿還肥之序」(そうとうぶんよかんぴのじょ)を書きました。

そのなかに、「ただき然たる一気のみ、ひとりよく病に抗して、これを制す」とあります。「き然たる一気」が病を治すというのです。それもただの「気」ではなく、「き然たる気」です。病気は医師や薬が治すのでないのです。

しかし「ただ真気の勢の趣くところを察して薬石を順導し、これを補佐すれば、すなわちその力を資けて真気おおいに振い、病い随がいていゆる」とあります。薬を投与し、気を補佐することで病を治すと言うのです。

肉体に生じた病気を治すために、医療や投薬を用いても、当人の「き然たる一気」が必要になります。現実にはお医者様や看護士さんの支援は大きいでしょう。ご家族もまたいろいろに尽されます。またそこにご先祖様や神様の大きなご配慮があります。周囲の方々の現実を超えた気を養うお世話が見えます。それは喜びであり、感謝です。
posted by ほうとく at 14:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ・健康 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする