周囲の人Bさんにの確実に分かることは、ステーキ屋さんの前に立った人Aさんが立ち去ったということです。想像できることは、その人は、ステーキを食べようとしたのだろうということです。でも立ち去った理由はBさんには分かりません。
もしBさんが気になってたまたま見かけたAさんに声をかけて理由を聞いたら、答えてくれたでしょうか。「ほっといてくれ、人のことなんだから」というのがふつうですよね。「ダイエットをしているんですよ」「急にうどんを食べたくなったものだから」と言ってもらえるかもしれません。
いずれもAさん自身がステーキ屋さんに入らなかった理由ではありません。自分の財布にお金が乏しいという理由を言いたくなかったのです。
他人さんに説明しない、あるいは説明できない行動の背後には、隠したいこと、つまり言いたくないことがあるのです。それが周囲で分からないから不審に見えるのです。サラリーマンが仕事場で、隠したいことが出てくるかもしれません。家族に隠したいことがあるかもしれません。政治家が隠したいことがあるかもしれません。報道関係者が隠したいことがあるかもしれません。
説明に窮するのは、自分が失いたくないものがあるということです。
これまでの社会では、社会的地位や経済的利益が重要な価値を持っていました。そうした価値を重視する人は、たとえ周囲から不審に思われても、社会的地位や経済的利益を失うことになる説明を回避しようとするのです。