夜の繁華街では、だれもが「社長さん」「先生」と呼ばれているという噂もあります(^_^;
たくさんの職業や職種がある中で、社長と先生が特別扱いですね。
社長は経営にたけているから立派だというのでしょうか。お金持ちだからでしょうか。先生は知識が豊富だから、立派だというのでしょうか。
私は、思うのです。能力は必要ですが、その地位につくことのできる理由は別です。徳が必要なのです。徳がなければ、社長のまわりに人はついてきません。徳がなければ、先生だと自分で言っても周囲の人は、認めてくれません。中国の皇帝は、徳で国を治めてきました。
徳そのものは抽象的です。自分の思いや振る舞いに天意が満ちているかどうか、といえば、分かりやすいでしょうか。
人の上に立っている人が困ったときに「自分はがんばっているじゃないか」「人さんのために精一杯しているよ」「問題は自分じゃない」と心で叫んでみます。何とかしなきゃと精一杯の努力をします。書籍も読みます。人に教えを乞おうとします。いろいろ実行してみます。でも解決しません。言い訳も、人を治める技術も、役には立ちません。
「困ったぁ・・・」
そこでやっと気づきます。自分自身が天意に沿っていない。思いや振る舞いが、自分勝手になっているのです。でもいよいよ困ったときにそうなるのは、しかたがありません。理由は次の通り。
あなたは、そのとき困りましたね。だから解決したかったのです。でも解決したかったのは、「自分」がつらかったからですね。解決のためにたいへんな目にあいました。その時点では、人さまのためにしてあげるゆとりはありません。天の意志を知るゆとりもありません。生じた「自分」の問題の解決のために必死です。それは、自分のためですね。思い通りにいきません。「自分」が誤っているのです。
そして降参です。
「神さま、助けて」
こんなにあなたが自分勝手をしてきたのに、あなたは、まだ生かされています。あなたを見放さない天意がある。あなたは感謝します。あなたの感謝で天意があなたのもとで発動されます。あなたの助っ人が次々に登場しはじめます。あなたが師と仰ぐ人かもしれません。あなたが困っているときに、見放されたと思った人かもしれません。
人を治める技術は、そのとき役に立ちませんでした。でもこの事態のおかげで、あなたは多くのことを学びました。あなたは、失意の中で、能力と徳を得て、よみがえります。
社長さんと先生は、周囲の方々の支援が頼りです。周りの人の言葉をよく聞いてみましょう。たくさんの学びがあります。自分の思いや振る舞いの誤りを正すことができます。