2018年02月14日

責める人が、気づくこと

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人さまを責めます。そうすると、どういうわけか、自分の心が痛みます。自分の心が痛むので、人さまを責めるのをやめようと思うのです。

ミラーの法則から気づかれる通り、相手を責めている内容が自分の問題点を見せられています。相手を責めている内容は、客観的な事実の指摘ではなく、自分自身のことでイヤだと感じている部分です。それを相手にすり替えて、責めるのです。

「あなたは、非常識なのよ」「きみは、ケチだね」「あの人のせわしなさといったら、、」「どんくさい人って、、、」
というような、ネガティブな言葉で、人さまを責めます。ところが、それらは、言っている当人が「非常識」「ケチ」「せわしない」「どんくさい」のであり、それをみずから改める時期が来ているしるしなのです。

自分のことは、分かりにくいものです。周囲の人が放つ悪口に耳を傾けてみましょう。言葉を巧みに選び、自分自身のことを言い表しているかに気づくことでしょう。
posted by ほうとく at 16:49| Comment(0) | ・幸福 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

人を責めない生きかた

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人の悪口を言っても、自分が正しい人になるわけではありません。自分の権利を主張すれば、人さまに苦痛を与えることも多いものです。

わたしたちの日常の多くの時間や手間は、自分自身、あるいは自分の身内の保身に費やされます。人の悪口を言うことで仲間を作ったり、自分のイヤなことを回避するために自分の権利を主張します。ところが、そうすることで、人を責めることになります。責められた側は、イヤな気分になり、それがもとで、体調を崩される方もいます。

責める人たちも、また、体調を崩したり、病気になるのをたくさんみてきました。仕事がうまくいかなくなったり、家族に問題が出たりします。わたしは、だれに対しても、責めるのをおやめなさいと言っています。目の前にいるその人のために、責めない生きかたをお勧めしています。人さまを苦しめ、自分も苦しむ必要はありませんから。

しかし、責めることをやめる方は、まれです。自分が正しく、相手が誤っているから、と説明されます。自分が正しいふりをするために相手を責めていることもあります。

また、責める人は、じつは責められている人です。いじめは、いじめっこが、だれかをいじめることです。いじめっこが悪いとされることは、当然だとされます。ところが、いじめっこは、家族の中で、いじめられると感じていることが多いものです。

俯瞰すれば、ただちに理解できることなのですが、責める人は、責められていて、一方で責めようとするのです。世間の多くは、日常的に責めない人であり、責められもしません。わざわざ少数派の責める人になって、自分のパワーを無駄に使わないことをお勧めします。
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2017年11月30日

愛は宇宙の法則です

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宇宙全体が愛そのものです。私たちは、愛の中にいます。

私たちは、宇宙全体に育まれ、慈しまれているのです。私たちが、愛を思い描こうとすると、暖かく輝かしい気配を感じてしまいます。そのままで赦されている確信を得ます。

その不思議さにお気づきですか。宇宙に思いを馳せることで、あるいは愛に思いを寄せることで、私たちが自在に思い、考え、好きなように活動しているすべてが、赦されます。それは、どうしてなのでしょうか。宇宙がダイナミックだからです。その全体が動的で、すべてを受け入れるからです。広大無辺に見えているのは、動きのある宇宙の一部分に、わたしたちのどのような姿でも、受け入れてもらえるからです。

宇宙の一部分がわたしたちの居場所です。捉えどころのないように見えるわたしたちの居場所が、しっかりわたしたちを支えています。わたしたちが、どのような振る舞いをしようと受け止められる居場所があります。愛と呼ぶ宇宙の法則が縦横無尽に交差し、わたしたちを支えているのです。愛は揺るぎなき法則なのです。
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2017年08月28日

表の顔、裏の顔

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だれでもちょっといい顔をしたいのです。「昨晩も、友だちとレストランでディナーをしたのよ」「ニューヨークに住んでいてさあ」「私って、優しいから、、、」「いいクルマに乗ってるだろう」「美貌を見てね」「ぼくは賢いんだよ」「俺の男らしいところはね、、、」

意図的に見せようとしていることは、意図的に隠そうとしている部分があるのです。その意図を確実に知っているのはその本人だけです。見えている部分で、当人が意図して見せようとしているのか、そうではなくその人の普通のことなのかは、その人しか知らないことです。

金持ちを装うのは、それほどにお金を持っていないということです。美貌を見せようとするのは、ほんとうはそうではないということです。優しさを表面に見せているのは、ほんとうはそうではないのかもしれません。紳士的な人が、暴力的な姿を隠しているのかもしれません。

自分を偽るための内面と表面のギャップなので、芳しくないことは当然です。ですから、訳知りの人たちは、その偽りを消化しなければならないと説明します。しかし、詳細に見れば、そのギャップは、内面に生じたストレスであり、表面化することで、より大きなストレスを生じる可能性を含んでいるのです。人さまの悪い評価などに耐えなければならないこともあります。

詳細に検討すれば、内面に隠している何かが、人さまに広く見せるものでない場合もあります。その場合、自分だけで承認する、あるいは、それを共有しても良い人に明かせば、こと足りるのです。
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2017年05月22日

自分を幸せにする

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豊かさは、幸福の基礎のように見えます。ところが、豊かになって選択肢が多くなるほどに、その選択の手間と他の選択を諦めることで、不幸になります。

文明で生活は便利になったけれど、かえって不幸になっています。都市部に暮らすと、日常には、たくさんの選択肢があります。私たちが求めていたはずの豊かさです。ところが不便なはずの田舎暮らしのほうが幸福かもしれないと気づく人がいます。

自分を幸福にするためには、自分の有している選択肢に制限を掛ける、あるいは特定の状況に専念すればよいことが分かります。つまり行動の自由を制限することで、至福を味わうことができるのです。それが、日常生活の中の一部、たとえば1週間に一度、数時間であっても、至福を味わっておけば、その記憶が日常の生活を幸福に導くのです。

posted by ほうとく at 17:44| Comment(0) | TrackBack(0) | ・幸福 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする