2020年07月22日

うつろうので、たしかにあるのです

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「ある何か」の存在は、確定しません。「ある何か」は、特定の姿や形に依存しています。

その何かが確実に存在することの証左は、その何かの変化によります。ある瞬間、つまり、その時は、時間の推移がありません。当然、変化を見いだすことはできません。

ある瞬間にある姿を持ったものには、変化を見いだせないので、確定的な存在を明らかにできません。変化しないものであっても存在の推定はできますが、確定的な存在を示すことができないのです。

変化には、時間的な推移が必要です。つまり存在を明らかにするには、時間の推移による変化を示さざるを得ません。つまり存在は、そのものでありながら、同一ではないもの、つまり「ある特定の何か」ではなく、変化しているものしか存在を確定することができないのです。

posted by ほうとく at 22:33| Comment(0) | ・古神道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年07月20日

夏野菜のために冬雑草を活用する

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夏になると、農地に雑草が生います。雑草を取り除いてしまいたいと切望している方々も多かろうと思います。しかし、農地の管理には、雑草をきれいに取り除く以外にもたくさんの作業があります。ですから、雑草の管理をより軽微にしたいものです。

夏の野菜を植えているところに、夏の雑草があると、栄養を取り合うことになります。ですから、除去したいと考えるのですが、その除去は、たいへんな労力です。

夏雑草の天敵は冬雑草です。それらは、排他的で、いずれかしか生えません。冬雑草の成長のリズムは、夏の野菜の成長をあまり妨げません。ですから、夏の野菜の収穫のためには、冬の雑草を生やしておけばいいのです。

春夏野菜      冬野菜
(競合)     (競合)
夏雑草 (排他) 冬雑草

夏雑草には、ツユクサ、メヒシバがあります。冬雑草には、ハコベ類があります。

春にしっかり耕すと冬雑草が生き残れません。耕すのは、作物を植えつける部分に限定するのです。ハコベなどを残しておくのです。イネ科の雑草は、その隙間から生えますので、その都度除きます。

冬雑草の活用で、最低限の手間で、夏野菜の収穫を得ることができます。
posted by ほうとく at 21:55| Comment(0) | 花鳥風月 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

鎮守の杜を守る

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神々しい気配をかもす森を私たちの祖先は大切にしてきた。神が降臨する木々や、ときには磐座(いわくら)があった。そこを鎮守の杜(もり)として守ってきた。

神のおわす場に社(やしろ)を設けた。恐れ多くも、近づかさせていただけることを願って設けたのだろう。

人間の生存のために、大地を切り拓き、家屋を作り、田畑を耕作する。そして、神社の参詣のために切り拓く。最低限の自然の開拓や保全のための作業は許されても、それを超えてはならないと私たちは気づいている。

日本の原生林は、豊かだ。針葉樹、広葉樹、下草、キノコなどが混在し、昆虫、動物、鳥類を育んできた。日本の原生林の多くは、雑木林だ。遷移の結果、つまり極相が、単独の植物に収まるのではなく、複数の植物を抱えている。岩石や砂が、土となり、水を含み、生物を育み始める。太陽の光を受けて、早く成長する草などが、大地を覆ったところで、成長が遅くとも、より大きな植物が大地を覆い、その下で生育できる植物が、開いた空間に生きる。原生林であるその極相は、大きな自然災害や人間によって破壊されても、長い時間のうちに戻ることが多い。

人類が生き延びてきた以上に、大自然はより大きな時間の中にある。杜は、大自然の集約であり、四季を通じて、動植物の営みが繰り返し続けられ、あるいは、悠久の中の遷移が成される場なのだ。

私たちは、私たちの暮らしのために森を切り開き、住居や農地を設け、山林を活用してきた。しかし、それを最低限の活用にとどめることで、その恩寵を受けることができるのだ。
posted by ほうとく at 14:12| Comment(0) | 花鳥風月 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年04月23日

新型コロナ騒動の終息後の心豊かな世界

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新型コロナ騒動が終息したら、これまでと同じようになる、ということはありません。私たちは、新型コロナ騒動を経験したからです。この騒動の中で、私たちは大きな学びを得ました。

世界中が、人の移動を止めることに腐心しています。もちろん、経済的には大きな痛手のはずです。外出自粛が経済にもたらした損害を量ろうとする試みは、無駄なことです。これまでの推移から算定される損害でしかないからです。

がんばって、ということは、ほんとうは、イヤなのだけど、仕事をして、稼ぎ、そのお金で、あれやこれやしたいことを叶えてきた状態に戻るわけではないのです。自粛といって、部屋でごろごろしながら、気づくことに注目してみるのです。自分は、仕事が好きだったのだと、あらために気づく人もいるでしょう。仕事をするのがイヤだったと気づく人もいるでしょう。ごろごろしているのも、いいものだと気づく人もいるでしょう。

これまでに社会に用意したインフラを活用できない自粛期間は、無駄なように見えます。しかし、強制的に引きこもらされて、復帰しようとしたときに、一つの職業に専心的に邁進し、多くの人に喜んでもらい、自分の社会的価値を上げ、大きく稼ごうということが、唯一無二の価値ではないことに気づいてしまうのです。

月曜日から金曜日まで、午前9時から午後5時まで仕事をするものだ、それで家族を養わなければならない、楽しみごともしたい。そのためにより良い学校を出て、より良い就職をしなければならない、という社会的な常識が外れてしまうのです。

英文を勉強してきて、運良く外資系の貿易会社に入社しても、事務仕事は、1週間で2日間ぐらいだったらできるけれど、それ以上は、ストレスが大きくてできない、といえば、これまでの常識では、仕事ができない人ということになるのです。しかし、これからは、ストレスが大きくならないように1週間に2日間仕事をして、趣味の刺繍とケーキづくりをする時間を1週間の5日間あてることができるようになるのです。そうすれば、貿易会社の仕事も楽しめるし、それで自分の生活の全部に充てようという期待もしなくなります。

英会話教室や海外旅行の費用は無くなるけれど、刺繍とケーキづくりも仲間やファンがいるので、ばりばり仕事をして稼ぐというほどではなくても、なにがしかの糧となるのです。

仕事場などでの人間関係が、タイトではなくなるので、だれとも快適な関係にすることができます。一人でできないことがらが出てくると、いつでも仲間を呼び寄せチームで作業ができるようになります。序列として誰かが偉いということもなく、役割分担としての秩序があるだけです。その作業を終えれば、そのチームは解散です。情報を発信すれば、これまで気づいていなかったチームのメンバーになれそうな人が近隣にいることが分かるようになります。

だれもが、近隣で仲間を見つけることができる一方で、言語を超えて世界中にネットワークがアクセスできてしまうので、生産的活動も楽しみごとも、経済的、物理的、国家的フレームの制限がなくなってしまいます。

勉学に励むことも、多くの人にとって、卒業証書が必要ではないことが判明します。好きな勉強を好きなだけすれば良いし、気に入った先生の話を存分に聞けるようになることでしょう。

引きこもっていれば、人さまの邪魔もなく自分の楽しみごとに邁進できるので、価値ある生き方が、その方向に向かいます。もっともぜいたくな生き方は、何もせずに宇宙の機微に触れ、快感のうちに過ごすことです。思索に耽ること、あるいは、知識を得ようというのがそれに準じます。外に出て遊び回り、いろいろな豪華な物を見せびらかすことが、野暮であったり、反社会的なことと、およその共通理解になることでしょう。

そうした理解は、人類が、この時期に初めて達したのではないのです。歴史的には、むしろ、そうした時代の方がふつうだったかもしれません。

江戸時代の一般的な人たちは、仕事は、午前中だけです。午後は、仲間と、うだうだするのがふつうです。江戸の街の子供たちを育てるのも親が掛かりきりでするのではなく、近隣の人たちが協力しているのです。商家に丁稚奉公する子供たちは、その家の旦那の子供のおもりをしたりしますが、休みは、旧暦の1日、15日だけです。その日も、仕事場に、いったん店に出向き、少しばかり子守をしてから、でかけるのです。大量生産のできる社会的素養はあっても、基本的にリサイクル社会です。衣装、傘、あるいは糞尿も、廃棄せずに、回収し、リメイクし、利用し、また下着もレンタルがあったりするのです。お武家さんが、現実的にはあまり役にも立たない学問と武芸に励んだのは、人としての手本となるだけのためです。

奈良時代の役人も午前中が執務の時間です。午後には、自宅に戻ってきます。奈良の役人の屋敷には、畑の場所もあるので、野良仕事ができました。私たちが、口にする野菜のうちの青物は、栽培するものではなく、江戸時代まで、道端などにはえているものを採ってくるだけなのです。

およそストレスの大きくならない範囲で仕事をして、日々を暮らしていく一般的な生き方ばかりがすべてではありませ。自身の役目をまっとうするために、高い緊張と多くの時間を費やしている職務もあります。天皇陛下は、午前9時半に出勤します。多くの祭祀を行う一方で、年間で1200の閣議書類の署名を含め多くの書類に目を通し、年間200人と会見されています。

江戸幕府の征夷大将軍も、早朝から予定が決まっていて、それにしたがって日常を過ごします。周囲に心配をかけないために、生活のリズムに変化や体調の不良を見せないように努めています。朝鮮半島の王族も、早朝から、深夜まで、執務、勉強、あいさつの予定を日々こなすのです。

ピラミッドの建築には、膨大な労働力が必要です。現在の私たちの常識では、奴隷を使うか強制的に仕事をするようにするかでなければできないことだと思っています。しかし、実際には、遺跡を見れば、家族で暮らせる場所があり、治療を施していた様子から、むしろ、労働者からすると奉仕的、あるいは行政の行う農閑期の農民の救済事業なのです。

古代ギリシアは、高い文化を誇っています。哲学的、芸術的に高い水準にあり、自分たちで楽しんでいたのです。政治の形態も民主主義が具現できるように工夫が見られます。ですから、支配を拡張する覇権主義などと無関係なのです。

このように、外に向けて、力を発揮しなくても、豊かに暮らす方法があったのです。他国に向けて、他人に向けて、あれこれしようとすることが、これまでの常識に見えても、それが覆りつつあります。私たちが、心の赴くままに活動し、それが社会に貢献することになるので、私たちはいかされるという、当たり前が実現します。


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posted by ほうとく at 14:28| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

新型コロナ騒動の禊ぎの2年間で日本人が気づくこと

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人類の歴史でときどき大きな変革が生じます。今回の新型コロナ騒動は、そのひとつになります。

今日は、令和2年4月23日です。政府の緊急事態宣言が4月7日に出されてから、2週間あまり。5月6日までと、一応のめどが示されています。しかし、政府の意図や医学的な対抗策とは関係なく、この騒動の禊ぎに2年間が必要です。

新型コロナウイルスの人類への強力な攻撃性をみるにつけ、人類にマッチしたものだと想像ができることでしょう。人類の邪悪な想念が作り出したものなので、強烈に人間に作用するのです。

現在、それを敵として、人類は立ち向かっています。しかし、本質は、人類の想念が、現実的に人類を襲っているので、新型コロナウイルスに対抗している間は、終息しません。おのれの一部だと理解すると、霧散するのです。

誰もが、自分の存続を賭けて、都合のよいように考えたいのです。ですから、現在、人類に課せられた禊ぎにも、相応の時間が必要です。数週間でこれまでの自分を諦める潔さがあるなら、もう少し居心地の良い世界だったことでしょう。

私たち自身の思いとは関係なく、宇宙の流れが、すでに人類に新たなものを示してきているのです。これまでかかって作ってきた人類の価値体系の誤りが削がれるのです。

すでに新たな時代にマッチしている人たちやマッチできる人たちは、新しい時代の到来を待ち望んでいたことでしょう。多くの人たちが、心の時代と唱えながら、現実の世界で、われよし、お金の亡者となっていたのです。外出自粛要請は、それらを根底から突き崩しました。新たな時代の暮らしを予見させるものです。

「令和」になって、突然、生じたこの世界的な事態を収束させ、新たな時代の先駆になるのは、日本かもしれません。改元は、時空の統治の変化をあらわします。「令和」がもたらすであろう輝かしい時代のために古い時代の殻を脱ぎ捨てなければならないのです。その混乱が、現実に起きているのです。

また、日本で「新型コロナ」と呼び習わしているウィルスの名称は、太陽の表面の100万度にもなるガスのプラズマであるコロナに由来します。太陽以外の恒星にも存在が確認されていますが、人類には太陽を思い起こさせるものです。また、コロナは、「クラウン(冠)」の語源でもあります。この騒動は、日の本、日本に関わっていて、今後の日本に大きく関係しているのかもしれません。これまでの価値体系ではない新たな世界観を日本が先駆的に指し示すことになるのかもしれません。

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posted by ほうとく at 12:12| Comment(0) | 歴史の潮流 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする