2018年02月14日

責める人が、気づくこと

4571a7461a782a381946868e8bb2b777_s.jpg


人さまを責めます。そうすると、どういうわけか、自分の心が痛みます。自分の心が痛むので、人さまを責めるのをやめようと思うのです。

ミラーの法則から気づかれる通り、相手を責めている内容が自分の問題点を見せられています。相手を責めている内容は、客観的な事実の指摘ではなく、自分自身のことでイヤだと感じている部分です。それを相手にすり替えて、責めるのです。

「あなたは、非常識なのよ」「きみは、ケチだね」「あの人のせわしなさといったら、、」「どんくさい人って、、、」
というような、ネガティブな言葉で、人さまを責めます。ところが、それらは、言っている当人が「非常識」「ケチ」「せわしない」「どんくさい」のであり、それをみずから改める時期が来ているしるしなのです。

自分のことは、分かりにくいものです。周囲の人が放つ悪口に耳を傾けてみましょう。言葉を巧みに選び、自分自身のことを言い表しているかに気づくことでしょう。
posted by ほうとく at 16:49| Comment(0) | ・幸福 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

人を責めない生きかた

11d2034681257e859aa09f24888ef28d_s.jpg


人の悪口を言っても、自分が正しい人になるわけではありません。自分の権利を主張すれば、人さまに苦痛を与えることも多いものです。

わたしたちの日常の多くの時間や手間は、自分自身、あるいは自分の身内の保身に費やされます。人の悪口を言うことで仲間を作ったり、自分のイヤなことを回避するために自分の権利を主張します。ところが、そうすることで、人を責めることになります。責められた側は、イヤな気分になり、それがもとで、体調を崩される方もいます。

責める人たちも、また、体調を崩したり、病気になるのをたくさんみてきました。仕事がうまくいかなくなったり、家族に問題が出たりします。わたしは、だれに対しても、責めるのをおやめなさいと言っています。目の前にいるその人のために、責めない生きかたをお勧めしています。人さまを苦しめ、自分も苦しむ必要はありませんから。

しかし、責めることをやめる方は、まれです。自分が正しく、相手が誤っているから、と説明されます。自分が正しいふりをするために相手を責めていることもあります。

また、責める人は、じつは責められている人です。いじめは、いじめっこが、だれかをいじめることです。いじめっこが悪いとされることは、当然だとされます。ところが、いじめっこは、家族の中で、いじめられると感じていることが多いものです。

俯瞰すれば、ただちに理解できることなのですが、責める人は、責められていて、一方で責めようとするのです。世間の多くは、日常的に責めない人であり、責められもしません。わざわざ少数派の責める人になって、自分のパワーを無駄に使わないことをお勧めします。
posted by ほうとく at 16:25| Comment(0) | ・幸福 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月28日

表の顔、裏の顔

d46e274b922bc4e05c2150e9210df927_s.jpg


だれでもちょっといい顔をしたいのです。「昨晩も、友だちとレストランでディナーをしたのよ」「ニューヨークに住んでいてさあ」「私って、優しいから、、、」「いいクルマに乗ってるだろう」「美貌を見てね」「ぼくは賢いんだよ」「俺の男らしいところはね、、、」

意図的に見せようとしていることは、意図的に隠そうとしている部分があるのです。その意図を確実に知っているのはその本人だけです。見えている部分で、当人が意図して見せようとしているのか、そうではなくその人の普通のことなのかは、その人しか知らないことです。

金持ちを装うのは、それほどにお金を持っていないということです。美貌を見せようとするのは、ほんとうはそうではないということです。優しさを表面に見せているのは、ほんとうはそうではないのかもしれません。紳士的な人が、暴力的な姿を隠しているのかもしれません。

自分を偽るための内面と表面のギャップなので、芳しくないことは当然です。ですから、訳知りの人たちは、その偽りを消化しなければならないと説明します。しかし、詳細に見れば、そのギャップは、内面に生じたストレスであり、表面化することで、より大きなストレスを生じる可能性を含んでいるのです。人さまの悪い評価などに耐えなければならないこともあります。

詳細に検討すれば、内面に隠している何かが、人さまに広く見せるものでない場合もあります。その場合、自分だけで承認する、あるいは、それを共有しても良い人に明かせば、こと足りるのです。
posted by ほうとく at 15:01| Comment(0) | TrackBack(0) | ・幸福 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月22日

自分を幸せにする

a20026b5d31c709f64695a56f85af253_s.jpg


豊かさは、幸福の基礎のように見えます。ところが、豊かになって選択肢が多くなるほどに、その選択の手間と他の選択を諦めることで、不幸になります。

文明で生活は便利になったけれど、かえって不幸になっています。都市部に暮らすと、日常には、たくさんの選択肢があります。私たちが求めていたはずの豊かさです。ところが不便なはずの田舎暮らしのほうが幸福かもしれないと気づく人がいます。

自分を幸福にするためには、自分の有している選択肢に制限を掛ける、あるいは特定の状況に専念すればよいことが分かります。つまり行動の自由を制限することで、至福を味わうことができるのです。それが、日常生活の中の一部、たとえば1週間に一度、数時間であっても、至福を味わっておけば、その記憶が日常の生活を幸福に導くのです。

posted by ほうとく at 17:44| Comment(0) | TrackBack(0) | ・幸福 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月04日

自由と幸福をむすぶ信仰

1ef3f317dee230bb0b0a0ad0ed5860b1_s.jpg


5月1日の感謝祭の講話の中で、自由と幸福を扱いましたので、その部分を掲載します。

だれでも幸福になりたいと思っています。自分自身のために、あるいは家族のために、たとえばお金持ちになれば、できることが増えるので、幸福に違いないと思うのです。幸福のためにお金が必要だったかもしれません。ところが、目的がお金になると、お金をたくさん儲けることが幸福になるのです。とうぜん、いつまでも満たされなくなります。そして、選択肢が増える、つまり、あれもこれもできることが幸福に見えながら、その全部をすることが実際にはできません。その結果、諦めなければならないことがたくさんになるのです。どれを諦めるかを決める作業に大きなエネルギーや勇気が必要になります。できることが多いことに価値があったために、できないことが増えたために不幸になるのです。

一般的には、自由が増えるほどに、迷いが多くなり、不幸になるという矛盾を生じさせることになるのです。ですから、不幸にならないようにするためには、選択肢が増えないように慎ましい生活に徹することになるのです。

お金や地位があって、自由を発揮できる状況にあっても、より高い倫理観や宗教観があれば、自分が獲得した自由を発揮する方向にぶれが生じません。自由と幸福をむすぶには、信仰が必要なのです。
posted by ほうとく at 12:29| Comment(0) | TrackBack(0) | ・幸福 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする