2017年05月22日

自分を幸せにする

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豊かさは、幸福の基礎のように見えます。ところが、豊かになって選択肢が多くなるほどに、その選択の手間と他の選択を諦めることで、不幸になります。

文明で生活は便利になったけれど、かえって不幸になっています。都市部に暮らすと、日常には、たくさんの選択肢があります。私たちが求めていたはずの豊かさです。ところが不便なはずの田舎暮らしのほうが幸福かもしれないと気づく人がいます。

自分を幸福にするためには、自分の有している選択肢に制限を掛ける、あるいは特定の状況に専念すればよいことが分かります。つまり行動の自由を制限することで、至福を味わうことができるのです。それが、日常生活の中の一部、たとえば1週間に一度、数時間であっても、至福を味わっておけば、その記憶が日常の生活を幸福に導くのです。

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2017年05月04日

自由と幸福をむすぶ信仰

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5月1日の感謝祭の講話の中で、自由と幸福を扱いましたので、その部分を掲載します。

だれでも幸福になりたいと思っています。自分自身のために、あるいは家族のために、たとえばお金持ちになれば、できることが増えるので、幸福に違いないと思うのです。幸福のためにお金が必要だったかもしれません。ところが、目的がお金になると、お金をたくさん儲けることが幸福になるのです。とうぜん、いつまでも満たされなくなります。そして、選択肢が増える、つまり、あれもこれもできることが幸福に見えながら、その全部をすることが実際にはできません。その結果、諦めなければならないことがたくさんになるのです。どれを諦めるかを決める作業に大きなエネルギーや勇気が必要になります。できることが多いことに価値があったために、できないことが増えたために不幸になるのです。

一般的には、自由が増えるほどに、迷いが多くなり、不幸になるという矛盾を生じさせることになるのです。ですから、不幸にならないようにするためには、選択肢が増えないように慎ましい生活に徹することになるのです。

お金や地位があって、自由を発揮できる状況にあっても、より高い倫理観や宗教観があれば、自分が獲得した自由を発揮する方向にぶれが生じません。自由と幸福をむすぶには、信仰が必要なのです。
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2017年05月03日

信仰が日常の苦闘を除く

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5月1日の感謝祭で「幸福と信仰」を「自由」や「クリエイター」を使って説明しました。その講話の中で説明した生きづらい日常を信仰で幸福にする方法を、加筆して本ブログに記載します。

日常は、面倒なことがあまりに多いものです。病気やその他のトラブルもあることでしょう。生きていくこと、あるいは、したいことをしようとするためにお金を稼いだり頭を下げたりしなければならないこともあるでしょう。出会ってしまうイヤなことに耐えたり、自分の望むようにするために努力をしなければならなかったりします。それらは不幸です。

信仰は、日常の苦悩を解消します。二つの方法があります。ひとつは、神頼みをすることです。病気治しなどの心願成就を祈願されるのは、その典型です。もう一つの方法は、信仰で自分のあるべき姿に立ち返ることです。

前者、神頼みは、仏教であっても、そうした心願成就の方法があります。自分の都合のよいことを実現させるので、その裏側、自分にとって都合の悪いことを呼びやすいのです。ですから、祈祷料をお支払いして神さまにお願いするのです。

後者は、思ったとおりに振る舞うことで、何の問題もなく過ごせるようになる方法です。自分のエゴを除くと純粋でユニークな自分が現れてきます。神域で過ごしたり、教えを学んだりすることで本来の自分を取り戻すことができます。宇宙の流れに沿ってそのままに振る舞うことで、好きなように過ごすことができるのです。

いずれの方法を用いても、この世での苦闘は、とりあえず解決しますので、幸福を獲得できます。その後、自分のままを認めるならば、問題は現れません。もっと成長したいと願うのならば、それに応じた苦闘をしなければなりません。目前の苦闘は、自分の成長の糧だと理解できますから、それも幸福なのです。
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2017年04月25日

承認欲求の裏側

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人さまに認められたいという欲求は、承認欲求と呼ばれます。ラフな承認欲求、つまり、自分の都合のよい部分を認めてもらいたいという欲求をかなえることは、それほど難しことではありません。承認する相手を選ばない上に、その部分をアピールすることで、反応を見ることができるからです。

ところが、都合のよい自分を認めてもらいたいと願うとき、都合のよくない部分を隠していることに気づく人がいます。それがストレスになります。そのストレスの解消は、承認欲求そのものをやめるか、隠そうと試みた不都合な部分を含むありのままの自分を認めてもらうことです。

承認欲求は、自己実現の過程で現れます。自己実現指向は、その人の生まれ持っての癖です。ですから、成長の欲求が承認欲求を導いたとも言えます。承認欲求は、成長とともに解消します。意図的にやめることは困難です。

成長を試みつづける源は、上位承認、つまり、他人よりも優位であろうする承認欲求です。成長のプロセスで、下位承認が首をもたげます。責任を負いたくない、保護されたいと思うのです。上位承認を表面に出す限り、下位承認は表面化できないのです。前者は、相手をあまり選ぶ必要はありませんが、後者は、相手が限られるのです。

上位承認が成就するほどに、下位承認が明瞭になり、また表面化できないためにストレスになるのです。そのストレスが、自己実現を阻むのです。
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2017年04月14日

「幸せな家族」「成功」への依存のプロセス

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わたしたちがこの地上に生まれたとき、自分の生命すらも自分で維持することができません。周囲の支援、とりわけ母親の愛情と世話がなければ、いのち断えることでしょう。この依存に徹した時代から大人になっていき、自分勝手に生きられるようになることが自立です。自分で判断し、自分の経済力で、生活できるようになります。そうすると、自分一人でできないことが社会の中でできることに気づき、伴侶を得たり、社会生活を営むために人間関係を構築していくのです。

一見すると、依存から、自立、そして相互依存に至ります。ところが、詳細にみると、自立までの依存は、往々にして共依存であったり、あるいは、その後、自立はしているけれど、自律できていないことがあったりします。

母親の中には、赤ん坊を育てることが、生活の中心にある人がいます。そうした状態、溺愛を始めると、自分自身を見失います。赤ん坊は、自分の生命のために依存していますから、共依存の状態です。子供の母親が、子育ての基礎になっているのは、母親も子供も、その家族の一員であることに由来するのです。そこを理解できれば、依存することなく、子育てができます。

経済的自立は、生命の維持や健康や最低限の生活のために必要です。しかし、自分の欲求を満たすのは、物的な要件によるものではないことがあります。力量が伴うならば、自律できます。それは、自分の思うように自分自身をコントロールできる状態です。自律の基本は、自分の感情のコントロールです。それができるとストレスは激減します。

精神や肉体を自分の思うように操れる状態、つまり、自律ができると、必要に応じて、周囲を整えることもできます。自律した人は、自分の領域に自律した人を呼び込み、互いの活動を支え合うことになるのです。それが相互依存です。家庭では「幸せな家族」と呼ばれます。事業家の相互依存は、一般的に言われる「成功」にあたります。
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