2021年01月30日

良い質問には回答が含まれている

david-travis-5bYxXawHOQg-unsplash.jpg


良い質問に出会うこともあるけれど、そうではない質問に出会うことも多いものです。良い質問は、目的がはっきりしていて、その中に回答が含まれています。

良い例の一つ。「先日、墓参りに行ってきたけれど、それから頭痛がしているのです。何かしなければなりませんか」
「墓参り」「頭痛」「すること」は、無関係に見えますが、良い質問です。質問に回答が含まれているのです。頭痛を解決したいという目的が見えていて、頭痛の原因が墓参りに関係があるのではないかと、自分で気になっている。そして、その解決を自分がしようとしている、ということです。

ときどき聞かれる「幽霊が見えるのですか」は、単純に見えますが、よくない質問です。良くない理由は、何が目的か分からないので、どう答えたら良いのか分からないのです。見えるといえば見えるし、見えないといえば見えないし、その答えを質問者はどうするのか?ということなのです。

「夜中に人の気配を感じることがあるので、それをどうにかしたい」とか、「見え方を知って、事業に役立てたい」という目的が分かれば、答えようがあります。

良い質問には回答が含まれているので、すでに回答を自分が知っているのです。悪い質問には、回答がないか、相手に聞かなくても、少し調べればだれでもがたどり着けます。

Photo by David Travis on Unsplash
posted by ほうとく at 00:01| Comment(0) | 真理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月07日

大人になって分かること---タイムマシンでどこに行くのか

daniele-franchi-WyJ0rahs_2k-unsplash-10.jpg


タイムマシンで過去や未来に行くというのは、想像力たくましい人類の発明だろう。飼っているが犬が30年前を見てきたよ、とか、樹でミーンミーンと鳴いている蝉が100年後を見にいきたいと思っていることはなさそうだ。彼らは、過去や未来に思いを馳せたりせず、今を精一杯に生きているように思える。

タイムマシンでの行き先は、過去や未来だ。私が子供のころ、タイムマシンで気になったのは、過去や未来のある時ではなく、どこに降り立つのかということだった。自分の思う「ここ」、あるいは「そこ」に、自分がそのままに降り立つことができるのかが問題になってしまった。3つの疑問が生じた。

一つは、今いる地球上のどこかから、未来の同じ場所に到達するということはどういうことか。今の自宅が100年後に工場だったら、工場に降り立つのか。その場所が隆起したり、土盛りをして、同じ位置が地中になっていたら、自分は、土の中に現れるのか。

2つ目は、地球は自転し、公転もしていて、太陽系全体が銀河系の中で移動している。銀河系も、同じ位置だと言えない。そうすると、あるとき「ここ」だと思ったそこは、100年後には宇宙空間のある場所だ。星などないところの可能性が高い。「ここ」に自分が100年後にあらわれるのは、宇宙空間に放り出されるということだ。それ以前に宇宙空間中のある位置は、特定できるのかという疑問もある。全体が推移している中では、ある位置は、そのままある位置だということにもなるのか。

3つ目は、時間を移動する自分は、何か。自分は、その肉体なのか。肉体の臓器は自分か。食事中の口の中の食べ物、手にした手帳、身につけた服装は、未来にあるのかどうか。肉体だけだと、裸で降り立たなければならない。他方で、降り立つ場所には、その直前まで、何かがあっただろう。そこに降り立つ自分とそこにあったものは、どのようにあるのか。そこにあったものが、交代するのか、消え去るのか。消え去るとすれば、どのように消えるのか。そこにあるものを自分が共有するというのか。そこに椅子があるならば、椅子と自分が合体したものとなるというのか。

タイムマシンは、子供に大きな問題を投げかけた。「いつ」を問うているように見えながら、「どこ」であり、自分が「なに」かを問うことになった。もちろん、大人になった自分が見返せば、見えてくることがある。「いつ」は「どこ」であって、自分は、思考しているもので、そこの全体を含んでいると。
posted by ほうとく at 22:20| Comment(0) | 真理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月29日

世界中の人たちに知ってほしい大切なこと

6132914a16486b0da1994b248f008732_m.jpg


この宇宙のすべてが愛の法則に依るただひとつのものです。それが真理です。

世界中の人たちが、それを感覚的に捕らえることができるようになるに違いありません。一人一人が愛に包まれ、だれもがすべてにつながっていることを実感することでしょう。人間の成長は、宇宙の推移の当然です。一人一人がより高次の気配を受取りながら、周囲に託していく流れによって宇宙のダイナミズムは成っているのです。
posted by ほうとく at 12:15| Comment(0) | 真理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年09月15日

ヨハネの福音書の成立

d73d08049ce159b8f0ef2d048365468b_s.jpg


新約聖書に出てくる使徒ヨハネは、若く、ハンサムにされることが多い。「イエスの愛しておられた弟子」という表現のためだろう。そして、イエスに関わる重要な場面でよくでてくる。教会でも指導的立場にあった。

彼の福音書は、イエスについて述べようとしている。その冒頭「はじめにことばがあった」を、神の発する言葉、あるいは言葉が神をあらしめるという解釈は無理がないかもしれない。しかし、イエスの愛弟子だと考えると、ヨハネの知っている「ことば」はロゴスに由来する法則や秩序を含んでいたはずだ。ミュトスが意味する空想に対比される理性を意味している。

しかし、そこには困難を伴う。一方で、ヨハネの黙示録の成立は、彼によるものではなく、後のヨハネ教団によるものだと考えられること。他方で、三位一体の成立によって神のことばであるイエスの本質がロゴスだとされることになった。それらの成立は、イエスやヨハネの没後で、その時期は重なるのではないか。

信仰の基礎は、「信じる」ことだ。一般的には、信仰の対象があるように見える。しかし、己が信じることが基礎だ。そこで、ロゴスのもつ論理が外れる。「ああ、そうだ」としか思いようのない感触が、信じることの核心だ。イエスも、たぶんヨハネも重々承知していたに違いない。かれらが知っていたことと、彼らが語ることは同じではない。

ヨハネは、信仰の対象としてのイエスを絶対にするためにロゴスを借りたのだ。彼の福音書の冒頭をロゴスからはじめたのは、神であるイエスに迫ろうとしたためだ。ことばを越えざるを得ないことを知っていて、なお論理を構築しようとしたのだ。
posted by ほうとく at 15:53| Comment(0) | 真理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月24日

「1+2+3+4+… =-1/12」を主張する近世のソフィスト

bf177c684bf207fc414025a194955ebb_m.jpg


「1+2+3+4+… =-1/12」だという人がいます。数学の得意な人です。ところが、「無限大まで加え続けて、右辺の数値になるわけがないよ」というのが普通の人です。

コーシーやオイラーの業績を踏まえ、あるいは、リーマンのゼータ関数を用いると、その等式が成り立つそうです。ところが、無限の数列を扱うにはコツというのか勘どころがあります。それを巧みにコントロールして、知らない人たちをけむに巻いている人がいます。近世版ソフィストです。古代ギリシアで「智が働くようにしてくれる人」「教えてくれる人」を意味するソフィストですが、詭弁に長けていたように当時から思われていたのです。

その式を眺めて、「それ、誤っている」と拒絶する人は、自分の枠組みをベースにしていますから、その枠組みに合致した詭弁に乗ってしまうのです。「ああ、あれだなあ。それ、おかしいよね」と思える人は、受けいれているので、その詭弁の部分が見えるのです。

この左辺の無限級数の和が、右辺のように決まるという説明は、特別なことなのです。ゼータ関数を用いて証明をするときに、条件がちらちらと見えています。それを子供にも分かるような数式を用いようとすると、それが抜け落ちるのです。


1+2+3+4+… =-1/12 
その一般的な証明は、次の通りです。

元の式の左辺を
A=1+2+3+4+5+6+……
とする。

次のような数列の和を用意する
B=1-2+3-4+5-6+……
C=1-1+1-1+1-1+……

AとBから
B-A=(1-2+3-4+5-6+……)-(1+2+3+4+5+6+……)
   =1-2+3-4+5-6+……-1-2-3-4-5-6-……
   =(1-1)+(-2-2)+(3-3)+(-4-4)+(5-5)+(-6-6)+……
   =-4-8-12-20-24-……
   =-4(1+2+3+4+5+6+……)
   =-4A
よって
B-A=-4A
B=-3A
A=-B/3

また、BとCから
C-B=(1-1+1-1+1-1+……)-(1-2+3-4+5-6+……)
   =1-1+1-1+1-1+……-1+2-3+4-5+6-……
   =(1-1)+(-1+2)+(1-3)+(-1+4)+(1-5)+(-1+6)+……
   =0+1-2+3-4+5-……
   =B
よって、
C-B=B
C=2B
B=C/2

そられから、
1-C=1-(1-1+1-1+1-1+……)
   =1-1+1-1+1-1+1-……
   =C
1-C=C
1=2C
C=1/2

A=-B/3=-C/6
より、
A=-1/12
となる。
よって 1+2+3+4+… =-1/12 

と説明されます。

その説明は、なかなかおもしろいと思います。巨大な数値になる元の数列を、意味があるものにする数列に変換しているのです。自然数が無限大になるまで、加え続けていた元の式では、無限大を超える無意味な数式でした。加算、減算を繰り返すことで、そこから抜け出したのです。しかし、右辺のようにある数値になるというのは、数式遊びのときだけで、イメージが貧困なのです。

この証明の数式を眺めていたときに、「……」の最後は「+(∞-2)+(∞-1)+∞」「+(∞-2)-(∞-1)+∞」「-(∞-2)+(∞-1)-∞」です。ということは、ある条件下でしか、特定の数値にはならないのではないかと想像ができたのです。ゼータ関数を用いて証明するときに必要だった条件があったはずです。その拡張の仕方を誤ると、無意味な式になることが分かるのです。
posted by ほうとく at 22:50| Comment(0) | 真理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする