2020年07月20日

鎮守の杜を守る

ricardo-gomez-angel-AnVmGm1ZKqE-unsplash.jpg


神々しい気配をかもす森を私たちの祖先は大切にしてきた。神が降臨する木々や、ときには磐座(いわくら)があった。そこを鎮守の杜(もり)として守ってきた。

神のおわす場に社(やしろ)を設けた。恐れ多くも、近づかさせていただけることを願って設けたのだろう。

人間の生存のために、大地を切り拓き、家屋を作り、田畑を耕作する。そして、神社の参詣のために切り拓く。最低限の自然の開拓や保全のための作業は許されても、それを超えてはならないと私たちは気づいている。

日本の原生林は、豊かだ。針葉樹、広葉樹、下草、キノコなどが混在し、昆虫、動物、鳥類を育んできた。日本の原生林の多くは、雑木林だ。遷移の結果、つまり極相が、単独の植物に収まるのではなく、複数の植物を抱えている。岩石や砂が、土となり、水を含み、生物を育み始める。太陽の光を受けて、早く成長する草などが、大地を覆ったところで、成長が遅くとも、より大きな植物が大地を覆い、その下で生育できる植物が、開いた空間に生きる。原生林であるその極相は、大きな自然災害や人間によって破壊されても、長い時間のうちに戻ることが多い。

人類が生き延びてきた以上に、大自然はより大きな時間の中にある。杜は、大自然の集約であり、四季を通じて、動植物の営みが繰り返し続けられ、あるいは、悠久の中の遷移が成される場なのだ。

私たちは、私たちの暮らしのために森を切り開き、住居や農地を設け、山林を活用してきた。しかし、それを最低限の活用にとどめることで、その恩寵を受けることができるのだ。
posted by ほうとく at 14:12| Comment(0) | 花鳥風月 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: