2014年06月27日

天国の落ちこぼれ

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天国とおぼしき世界がある。あの世で、良い世界だといわれるところだ。地上での身分に関係なく、そこにふさわしい人たちが過ごしている。そこは、けっこう広い。

そこには、たぶん「天国」という看板はない。よさそうに見える「天国」という看板につられる必要はない。そこにふさわしい人が、そこにいるというのにすぎないのだ。地上に暮らす多くの人は、そこに足を踏み入れないほうがよい。

簡単な話だ。あまりに心地よさそうなので、そのところを訪れたとしよう。

かなたに阿弥陀如来さんが、蓮の咲くかぐわしいその地で、静かに座しているかもしれない。お見かけしたからといって、手を振り、「ちはっす(こんにちは)」と言っても答えはないだろう。

間近を見渡せば、だれもが物静かに同じく座して過ごしている。もしかすると、そこにお釈迦さんやイエスさんを見かけた気になるかもしれない。マイケル・ジャクソンがそこにいるかもしれない。光り輝くその人たちが、地上での有名人に見えたからといって、そうかどうかは分からないし、「サインをお願い」とせがむ者などいない。だいいち、文具屋さんも見当たらないので、サイン帳を用意することもできない。

たとえようもない柔らかい光に満ちて明るい。虫の羽音すらも聞こえないが、しかし、無音ということでもない。幾千年も、そこに座して過ごしている人たちの穏やかなこと。何もなく、ただただ過ごす日々の幸せを周囲は当然のように享受している。

天国と呼ばれるそこの住人に倣(なら)って、座してみよう。そこにふさわしくない人たちは3日もすれば、飽きるだろう。

「皆は何を考えているのだろう」「ちょっと歩き回ってみようかなあ」「うまいものを食べたいなあ」「恋愛はできないのか」「仕事はないのか」「読書はできないのか」、そして「やはり退屈だなあと」と思うことだろう。「退屈で退屈で死にそうだ」と思っても、そこ(天国のようなところ)で、死ぬことはできないだろう。幾万年も、幾百万年もそこに暮らすことになるのだ。そこにふさわしくない者には、そこは地獄だ。

天国のようなその世界は広い。その隅の方で、一人で暴れ回っている人もいる。地上で精一杯生きた人で、そこに住まうことが許されたのだ。彼を周囲のだれも気にも留めない。

photo by Infomastern
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http://free-photos.gatag.net/2014/06/27/180000.html
posted by ほうとく at 21:45| Comment(0) | TrackBack(0) | ・神さまごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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