2013年10月20日

幸福を得るための権力やお金が不幸を招くジレンマ

私たちは自分の思い通りにならないこと苦しむ。だからこそ思い通りになるように、権力やお金を使う。権力やお金があれば、多くの不幸を消滅させることができる。そして幸福を得ることができる。

たしかに空腹を回避できるだろう。病気で痛む身体を治せるかもしれない。心地よい服装を整えることもできるだろう。安心して眠れる住居を得ることもできるだろう。家族を喜ばせるプレゼントもできる。子どもの教育の費用もまかなえるだろう。したい仕事を選ぶこともできるだろう。肩書や役職で心地よく過ごせることもあるだろうし、役得もあるだろう。

ところがそこに罠が潜む。権力やお金を駆使して、幸せを獲得してきた。だから、それらは、己の望みをかなえる有力なツールだった。ところが権力やお金を獲得することが目的になる。なぜか? 権力やお金が自分を喜ばせることに気づいてしまうからだ。自分を喜ばせるものに依存することは、世間によくある中毒だ。

依存症、あるいは中毒の対象は世間にいくらでもある。学校が嫌でゲームにのめり込む、ウォークマンなどを使って音楽依存症になる。ネットサーフィンで興味ある記事を探すネット依存症になる。友達とよい関係を築きたくてスマホでのソーシャルネットワーク依存症になる。アルコール中毒もある。麻薬中毒は、日本ではほとんどいないかもしれない。パチンコ中毒の人もいることだろう。買い物依存症もあるだろう。

そうした依存が実際には幸福だろうか。そうしたものに依存する人たちの言い訳はいろいろだろう。だが、その依存している時しか幸福を味わえなくなっている。

依存している己をコントロールできなくなるのだ。仕事が忙しいからネットサーフィンをしばらく休憩しよう、テストが近いからスマホの常時携帯を止めよう、家計に負担をかけるからパチンコを止めよう、というわけにはいかない。その結果、心地よいと感じてしているはずのことが、その人の日常に不幸をもたらすことになる。

権力やお金への依存も、もっともっとと欲が出る。そこに執着し、本来求めていたはずの幸福と関係なく依存することになる。世間でよくある依存症が、その依存のために不幸にいたっているのと同じく、幸福を求めるための権力やお金に依存して不幸に陥ることになる。

その解決の方法はあるのだろうか。じつはそれは簡単なことだ。権力やお金志向に走っている自分を確認するだけで良い。世間でよくある依存症は、安易に心地よい状態にさせる。当初、我慢をすることがなかったためにそこに陥ったのだ。しかし、権力やお金を獲得するためには、その初めから並外れた忍耐力が必要だったはずだ。そして、なお忍耐があってこそ、求めつづけることができるのだ。不幸に向かっている権力やお金への依存に自制の効いていないかに見えるのは、ただ幸福に結びついていないことに気づかずにいるからに過ぎない。初心に立ち返り、権力やお金ではなく幸福にターゲットを合わせ、軌道を修正するだけで良いのだ。そのためのツールでしかない権力やお金を求めることを堪(こら)える忍耐力は備わっているのだから。
posted by ほうとく at 22:47| Comment(0) | TrackBack(0) | ・幸福 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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