2013年08月14日

ぼくの宇宙は、砂粒の舞う段ボール箱の中だった

ぼくは、小学校のまだ低学年だっただろう。そのころ、考えていたこと。二階の勉強部屋の窓から見えるキラキラきらめく風景が見えていて、その先の建物の向こう側に、小学校があった。その南側には、純白の大きな砂粒の砂浜が広がっていた。砂粒のいくらかは、とても小さな巻き貝の殻で、穏やかに寄せる波は、ただ寄せては引くだけだ。海は、透けるブルーでエーゲ海を思わせる。その海の先は、あるところまでで、その先はないのだ。

事実は異なっている。あまりに近所のことで、知らないはずもなかった。部屋から思い浮かべるのは別の世界であった。キラキラきらめく世界がそこにあったのは、勉強部屋の南側の大きな窓ガラスが日の光を受けていつもきらめいていたからだ。私の通った小学校ではなかったが、運動会を見に行ったかもしれないし、夏休みに校庭に行くこともあった。その南側には砂浜などない。海は、歩いて10分も南に行かなければならない。そこには国際的な港があった。大きな船が入港し、また大きなクレーンが荷物を動かしていた。砂浜は、自転車で半時間ほど行かなければならない。もちろんエーゲ海などではなく、瀬戸内海に面した須磨の浜辺だ。

さて、そこで、さらにぼくは思う。その砂粒の一つ一つの表面に、数えきれないほどの何ものかが住んでいるかもしれない。その砂粒が舞って、宙に浮いた時、それは、ちょうどぼくらが夜に見上げた満天の星なのかもしれない。見上げる夜空は、真っ暗闇だ。なるほど砂粒の舞う宇宙は、神さまが手元に持っている大切な段ボール箱で、こそっと覗き見るかもしれないけれど、だいたい閉じていて、真っ暗なのだ。そこにたくさんの何ものかが表面に巣くっている砂粒が舞っているのだ。

これがぼくの宇宙の始まりだ。

さらに同じころ考えていたこと、人はどうして死なないのだろう。生かされているという結果にまでは、けっこう距離があった。中学生になるまで答えにはならなかった。だが、自分の都合で生きているのではなさそうだということにつながっていく。段ボールの中の真っ暗な空間に舞う砂粒に生きる何ものかがどうしようというのだろう。神さまが、気づかないかもしれないし、すべてお見通しかもしれない。いずれであっても、ふたを閉じた段ポールの中でしかない。だから、ちゃんとしておかなければならないと考えたのだ。
ラベル: 神さま 砂粒 宇宙
posted by ほうとく at 12:26| Comment(0) | TrackBack(0) | ・古神道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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