2012年10月05日

灘のけんか祭りの神輿の練り場に、その昔、神功皇后の船がいたのかもしれない

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灘のけんか祭りは、姫路市白浜町にある松原八幡神社の秋季大祭です。神功皇后の三韓征伐に由来するとされています。それは、4世紀ごろのことだと思えます。

神輿(みこし)をぶつけ合うけんか祭りは、神功皇后が、三韓征伐の時に、播磨で濃い霧が出て、停泊した時に船がこすりあった、あるいは、船についたカキをこすりあって落としたことに由来するといいます。

神功皇后は、当時、瀬戸内海を船で通って行きました。当然、瀬戸内海から播磨の陸地を見たわけです。当時の海面は現在よりも30メートル以上高かったと思えます。ですから現在の海岸線とかなり異なっていました。

現在の姫路の市街地のほとんどが海面下で、その周囲にある、現在、「山」と呼ぶ小高い丘が海面に島として姿を見せていたことが分かります。つまり兵庫県南西部の海岸線は、明石から西へ相生、赤穂までの間は、奥まっていて、大きな湾、あるいは入り江と呼ぶ姿となっていたのです。そこに、姫路南東部の高坪山、方連山と現在呼ぶ島があったのです。

姫路南東部、的形(まとがた)の高坪山の南端に小赤壁(しょうせきへき)と呼ぶ海にせりだした部分があります。三国志に出てくる赤壁(せきへき)に習っての命名でしょう。そこから西へ3キロメートル余り、麻生山、仁寿山の南側に方連山があります。それが、播磨でせりだしていたのです。

現在、灘のけんか祭りを執り行っているのは、方連山の東、小赤壁との間にある松原八幡神社です。東西に広がる7カ村を取りまとめています。海岸線は、現在の社殿から、海岸線までは1キロメートル近くあります。当時の海岸線を考えると、現在の松原八幡神社の社殿のある位置は海面下です。神功皇后のいわれがあった地点は、当時海面下であった松原八幡神社ではなく、けんか祭りで、神輿を担ぎ、駆け上がっていく、方連山、と言うより祭事に則して言えば、御旅山(おたびやま)と呼ぶ方が分かりやすいその丘にある神社なのです。それは、御旅山の南寄りにあります。

現在、御旅山の神社の南側のふもとに、神輿のぶつけ合いをする練り場(ねりば)があります。神輿をぶつけ合う姿を見ようと、練り場の周囲、つまり、御旅山の南側の斜面とその南にある丘の北側は、観覧の席が儲けてあります。

その練り場は、神功皇后が来られた時には、海面下で、方連山と小さな島の間の海峡、あるいは小さな湾だったことでしょう。そこに船を停泊させたのかもしれないのです。

ちなみに、御旅山にある神社は、紛らわしい名称だが、松原八幡宮です。その西側の麓には妻鹿と呼ぶ集落があって、その集落の奥、つまり御旅山のすぐ麓に元宮八幡神社があります。妻鹿の氏子にとっては、もちろん、大事な神社です。神功皇后にちなんでマークされたのが、御旅山の松原八幡宮だろうと思います。その後、利便のために妻鹿の集落に近いところに神社を祀ったのが、現在の元宮八幡神社だろうと思います。

写真 姫路市 灘のけんか祭り(屋台)
主な祭り・年中行事など  http://www.city.himeji.lg.jp/topic/photobank/_18889.html
posted by ほうとく at 00:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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