2011年10月11日

「二つの都城、九州の太宰府と奈良の藤原京から見る壬申の乱」が探求会(10月15日(土)、ホテル日航姫路)のテーマです

壬申の乱(じんしんのらん)は天武天皇元年(672年)に起きた日本古代最大の内乱だとされます。天智天皇の太子・大友皇子(おおとものみこ)に、地方豪族を味方に付けた皇弟・大海人皇子(おおあまのみこ、後の天武天皇)が反旗をひるがえし、大海人皇子が勝利した事件です。と言えば、簡単ですが、私たちの興味をそそるいろいろな内容を含んでいます。ですからそれを題材に扱った作品をよく見かけます。

壬申の乱を扱う作品の例
・黒岩重吾『天の川の太陽』
・黒岩重吾『剣は湖都に燃ゆ―壬申の乱秘話』
・井上靖『額田女王』
・井沢元彦『黎明の反逆者』
・里中満智子『天上の虹-持統天皇物語』
・手塚治虫『火の鳥・太陽篇』

壬申の乱によって日本は大きく変わりました。邪馬台国の卑弥呼からの流れが壬申の乱によって日本を成立させることになったのです。

以前にも、古代の都市を扱いながら歴史を見てきました。藤原京、平城京、平安京への遷都、平城京の都市デザインの藤原不比等の変更、不比等の屋敷のそばに住まう長屋王の殺害などを扱ってきました。今回は、太宰府の都城建設の時期や藤原京の規模、そして壬申の乱で生じた日本の歴史の大きな変化を追ってみようと思います。

藤原京は、奈良県橿原市に所在する日本史上最初で最大の都城(とじょう、みやこのじょう、みやこのしろ、みやしろ)だとされます。その以前、飛鳥にいくつも作られた宮は、宮殿そのもので、都市を作ったわけではありません。持統8年(694年)に遷都した藤原京は、「新益京」(あらましのみやこ)と記されています。「京(きょう、みやこ)」は一般的に都市を指し、宮殿を含む市街地を有していると思われます。

日本書紀の「壬申の乱」の記事に「倭京(わきょう、やまとのみやこ)」が見えます。藤原京に先立つ都です。一般的には、奈良のある地域を指すとされています。ところがそれに見合う都市はないのです。

太宰府は、7世紀後半に九州の筑前国に設置された地方行政機関とされますが、「政治を行うところ」の意味です。九州とは、古代の中国では天子の直轄当地領域を指します。九州年号の倭京元年は618年で、太宰府を都にしたのがその年ではないかと思えます。実際、7世紀中頃には、条坊制の都市がおよそ完成していました。それは藤原京遷都以前なのです。

つまり、7世紀前半に都城の太宰府が成立、672年の壬申の乱を経て、694年に藤原京に遷都しているのです。その経過で、活躍する人物の出自などの背景を探ります。日本古代最大の内乱だと言われる壬申の乱に係わった九州にゆかりのある人物のほんとうの姿が浮かび上がってきます。

ご興味がありましたら、お気軽にお越しください。

探求会
電話 079-245-0780 修生会

探求会「二つの都城、九州の太宰府と奈良の藤原京から見る壬申の乱」
日時 / 10月15日(土) 午後1時半から午後3時半
場所 / ホテル日航姫路 1階ファウンテン個室
費用 /1万円 (参加時にお支払いください)
講師 / 中澤鳳徳

セミナーの内容を録画、録音して、活用することがあります。
posted by ほうとく at 20:09| Comment(0) | TrackBack(0) | ・修生義塾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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