2010年01月07日

「阪神淡路大震災追悼の集い」にお越しになる霊体のために

15年前、阪神淡路大震災があって、多くの方がお亡くなりになりました。その後、当会のご神前で、多くの食物をお供えしてのお祭りをしたとき、阪神淡路大震災でお亡くなりになった方が、こられたのです。

それはとても多くの方々でしたが、無残なものでした。魂の体(てい)をなしてない方や、食べ物に覆いかぶされようによられる方などが来られました。大きなショックで魂がつぶれたりするのです。食べ物に執着してのことか、他の霊体を寄せつけないような姿で食べ物にかぶさったりする方がおられるのです。そのお供え物のすぐそばで祭典を執り行ったとき、私の目の前に見えた霊体の方々の姿を覚えています。

昨年、追悼の集いをしたときには、そうした不節操な方々は、すでにいらっしゃいませんでした。成仏(仏教的表現ですが)され、地上に関わる機会を失ったというならば、幸いですが、実際には、そうではなさそうです。15年の歳月は、そうした方の存続を許されなかったのです。残念ですが、魂が消滅したのだと思います。

昨年の集いでは、礼節のある方々ばかりが、多く居ならばれました。そしてその方々の思いを、参加した生きた方々に伝えられたようなのです。思いを自分の思いのようにそのままに感じた方もいます。供えた食べ物の香りを、ふつうではないほどに鋭く感じた方もいます。亡くなられた方々の無念は、生きた方の思いと同じです。「私のことを理解して」「思い出して」ということなのです。

そうした方の思いを私たちは受け止め、成仏していただくことは、生きた者のすることです。もちろんお亡くなりになった方々のためになることです。亡くなられた方の思いを受け止めた方は、その時点で、自分の経験していないはずの感情を、霊体の思いをそのままに感じる機会に恵まれます。その霊体のお役に立ったことで、その方に感謝していただけます。感謝の思いを受け取ることは、人生の至福です。私たちがその方々のお役に立ったことで、次には私たちのために役に立ちたいという方々が、将来、現れるのです。その記録は、えんま帳に残り、天国に近づくように採点されます。

だれかれなしにお祀りすることには、その方の力量を超えたときの危険性があるので、私たちはお勧めしません。

神さまのお膝元で、「阪神淡路大震災追悼の集い」という特別な機会を得て、ご縁のある方々のためにお役に立とうという方々のお気持ちが、私たち自身の将来の役に立つということなのです。

「阪神淡路大震災の追悼の集い」で、霊体の方のお役に立ちたいと思われる方は、どなたでもご参加いただけます。お問い合わせください。
posted by ほうとく at 06:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 阪神淡路大震災 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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