2010年08月01日

将来の朝鮮半島を古代から俯瞰する

朝鮮半島情勢をどう見るか、ということは人智を越えている、神のみぞ知ることなのだという議論もある。それは議論になっていないのだが。将来に結果が出ることだから、無駄なことなのだということもできる。

しかし民族的、国家的な視点に立って言うならば、将来変化するかもしれない情勢の中で、どう変化するのだろうと思いめぐらせることはあるだろう。あるいはその変化をとらえて民族的、国家的優位に立とうと機会を伺うのも、人間らしい。

現在の朝鮮半島の情勢は、世界の情勢に及ぶ大事だと思われている方々も少なくない。だがいつもその地域は緊迫状態にあった。古代からの東アジアの歴史は、中国という大国と極東の日本の間にはさまれた朝鮮半島の国々の織りなした歴史だ。かつて朝鮮半島には高句麗(こうくり)、百済(くだら)、新羅(しらぎ)があった。朝鮮半島を俯瞰するのには、その過去の歴史を見やることが早道ではないかと思うのだ。というのは神々の意図を大地が覚えているのではないかというのが私の思うところだ。

それでは朝鮮半島情勢は、古代から俯瞰するとどう見えるだろう、というのが今回の話だ。

朝鮮半島の北部に古代に高句麗があった。紀元前から紀元後7世紀まで続く由緒ある軍事強国だ。中国に従わざるを得なかったり、従わずに抗してきたりした。隋は、国政も国力も整っていたが、高句麗の支配のために国力を減じ、ついに滅び、唐にかわった。朝鮮半島の南側、百済や新羅は日本との関係が深い。いつでも良い関係だったとは言えないが、朝鮮半島に伝わる最高の仏教文化が日本に伝えられたのも日本との深い関係ゆえのことだ。

たとえば唐の時代、高句麗は、大きく軋轢を受けていた。国家的存亡の時期の軍事は、最重要課題だ。その時の将軍は淵蓋蘇文(えんがいそぶん、没年665年)。「日本書紀」には伊梨柯須彌(伊梨柯須弥、いりかすみ)として出てくる。彼は、唐の進入を幾度も撃退した英雄だ。独裁的権力を振るい、結果として、内紛の材料を作った。彼の死後、高句麗は権力闘争になり、新羅や唐が付け入った。

古代から俯瞰して見える朝鮮半島の歴史は、いつも地勢的問題を抱えている。そして朝鮮半島にあった国々は、周囲の軋轢から命懸けで国家、あるいは民族を守ろうと努力してきた。そのことについて大きなプライドがあるだろう。

国家の外交関係、あるいは力の関係によって、内政に成すことがあり、その内部で起こったことを周囲の国家は見ている。現在、朝鮮半島にある2つの国々、隣接する国々、そして世界の覇権を有するなどかかわらなければならないと思っている国々、そのどの立場に立った為政者であっても、誤らずに世界を、あるいは国家を導くには、その役を負う方が、天の意図を直接、あるいは大地から聞き取りながら、正しく行うことだ。それには役割に応じた力量を問われる。瞑想状態から落とし込むことがよろしかろうとわたしは思う。
posted by ほうとく at 13:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史の潮流 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする