2018年06月18日

マミーブラウンを埋葬したバーン・ジョーンズ

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マルタン・ドロリング wikipediaより

きれいな茶色があります。ピンクがかった透明感のある茶色で、マミーブラウンと呼ばれます。ラファエル前派でよく使われた絵の具の色です。ラファエル前派は、19世紀の中頃、ヴィクトリア朝のイギリスでの活動で、宗教的秘密結社のようにもみえます。

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エドワード・バーン・ジョーンズ wikipediaより

マミーブラウンの当時の材料は、エジプトのミイラでした。それを知ったエドワード・バーン・ジョーンズ(1833年-1898年)は、鉛のチューブに入ったマミーブラウンの絵の具を芝の庭に埋葬しました。彼は、神学を学んでいましたが、聖職者になるのをやめて、友人のウィリアム・モリスの影響で、画家になりました。

来世のためにミイラにした方々の思いを、マミーブラウンを使ってきた人たちも、埋葬した人も、敏感に感じたのかもしれません。
posted by ほうとく at 12:06| Comment(0) | 芸術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月24日

「1+2+3+4+… =-1/12」を主張する近世のソフィスト

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「1+2+3+4+… =-1/12」だという人がいます。数学の得意な人です。ところが、「無限大まで加え続けて、右辺の数値になるわけがないよ」というのが普通の人です。

コーシーやオイラーの業績を踏まえ、あるいは、リーマンのゼータ関数を用いると、その等式が成り立つそうです。ところが、無限の数列を扱うにはコツというのか勘どころがあります。それを巧みにコントロールして、知らない人たちをけむに巻いている人がいます。近世版ソフィストです。古代ギリシアで「智が働くようにしてくれる人」「教えてくれる人」を意味するソフィストですが、詭弁に長けていたように当時から思われていたのです。

その式を眺めて、「それ、誤っている」と拒絶する人は、自分の枠組みをベースにしていますから、その枠組みに合致した詭弁に乗ってしまうのです。「ああ、あれだなあ。それ、おかしいよね」と思える人は、受けいれているので、その詭弁の部分が見えるのです。

この左辺の無限級数の和が、右辺のように決まるという説明は、特別なことなのです。ゼータ関数を用いて証明をするときに、条件がちらちらと見えています。それを子供にも分かるような数式を用いようとすると、それが抜け落ちるのです。


1+2+3+4+… =-1/12 
その一般的な証明は、次の通りです。

元の式の左辺を
A=1+2+3+4+5+6+……
とする。

次のような数列の和を用意する
B=1-2+3-4+5-6+……
C=1-1+1-1+1-1+……

AとBから
B-A=(1-2+3-4+5-6+……)-(1+2+3+4+5+6+……)
   =1-2+3-4+5-6+……-1-2-3-4-5-6-……
   =(1-1)+(-2-2)+(3-3)+(-4-4)+(5-5)+(-6-6)+……
   =-4-8-12-20-24-……
   =-4(1+2+3+4+5+6+……)
   =-4A
よって
B-A=-4A
B=-3A
A=-B/3

また、BとCから
C-B=(1-1+1-1+1-1+……)-(1-2+3-4+5-6+……)
   =1-1+1-1+1-1+……-1+2-3+4-5+6-……
   =(1-1)+(-1+2)+(1-3)+(-1+4)+(1-5)+(-1+6)+……
   =0+1-2+3-4+5-……
   =B
よって、
C-B=B
C=2B
B=C/2

そられから、
1-C=1-(1-1+1-1+1-1+……)
   =1-1+1-1+1-1+1-……
   =C
1-C=C
1=2C
C=1/2

A=-B/3=-C/6
より、
A=-1/12
となる。
よって 1+2+3+4+… =-1/12 

と説明されます。

その説明は、なかなかおもしろいと思います。巨大な数値になる元の数列を、意味があるものにする数列に変換しているのです。自然数が無限大になるまで、加え続けていた元の式では、無限大を超える無意味な数式でした。加算、減算を繰り返すことで、そこから抜け出したのです。しかし、右辺のようにある数値になるというのは、数式遊びのときだけで、イメージが貧困なのです。

この証明の数式を眺めていたときに、「……」の最後は「+(∞-2)+(∞-1)+∞」「+(∞-2)-(∞-1)+∞」「-(∞-2)+(∞-1)-∞」です。ということは、ある条件下でしか、特定の数値にはならないのではないかと想像ができたのです。ゼータ関数を用いて証明するときに必要だった条件があったはずです。その拡張の仕方を誤ると、無意味な式になることが分かるのです。
posted by ほうとく at 22:50| Comment(0) | 真理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月16日

成長とエゴ

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私たちは、いつでも、幸せを目指しています。より良い状況を希望しています。環境などの改善によって、自分を心地よくしたいのです。

家族を幸せにしたい。お金があれば、幸せになるはずだ。だから、お金を稼ぐ。きれいな服装をして、気持ちよくなりたい。そのために研究をするのです。おいしい食事を用意したいから、よい材料を用意し、調理を工夫するのです。それらは、とても楽しいことです。自分の目指すことのために喜んでできることです。

ところが、極めようとすると、お金を稼ぐために、面倒なことに出会うようになったり、きれいな服装を整えるために、それ以外のしたいことができなくなったり、おいしい料理のために、他の人の協力を必要とするようなことになったりするのです。

好ましい結果を得ようとして、手間隙が、思う以上に負担になってくると、好ましい結果を得るまでに作業を放棄することになるのです。それによって好ましい結果を得ることができずに、悩ましい思いを抱えることになるのです。

イヤなことを自分の心が知っています。その人の自分の領域の範囲で得心のいかないことに対して、感情が警告を発しています。

自分の思いと、宇宙の中にあるほんとうの自分とのギャップを、心が知らせています。ほんとうの自分の姿を超えようとしたとき、心がきしむのを感じるのです。ユニークな自分のやみがたい自分の欲望と、自分がしこり、他者を陥れることにしかならない己がための欲望は、いずれもエゴと称することになります。

しかし、差異があります。前者が、自己の成長の程度が大きく、周囲への貢献があるのに対して、後者は、わがままで、周囲に迷惑をかけることになっています。前者は、自己の成長によって、より偉大な何かに近接しようとすることで許されるのです。
posted by ほうとく at 12:57| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月14日

責める人が、気づくこと

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人さまを責めます。そうすると、どういうわけか、自分の心が痛みます。自分の心が痛むので、人さまを責めるのをやめようと思うのです。

ミラーの法則から気づかれる通り、相手を責めている内容が自分の問題点を見せられています。相手を責めている内容は、客観的な事実の指摘ではなく、自分自身のことでイヤだと感じている部分です。それを相手にすり替えて、責めるのです。

「あなたは、非常識なのよ」「きみは、ケチだね」「あの人のせわしなさといったら、、」「どんくさい人って、、、」
というような、ネガティブな言葉で、人さまを責めます。ところが、それらは、言っている当人が「非常識」「ケチ」「せわしない」「どんくさい」のであり、それをみずから改める時期が来ているしるしなのです。

自分のことは、分かりにくいものです。周囲の人が放つ悪口に耳を傾けてみましょう。言葉を巧みに選び、自分自身のことを言い表しているかに気づくことでしょう。
posted by ほうとく at 16:49| Comment(0) | ・幸福 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

人を責めない生きかた

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人の悪口を言っても、自分が正しい人になるわけではありません。自分の権利を主張すれば、人さまに苦痛を与えることも多いものです。

わたしたちの日常の多くの時間や手間は、自分自身、あるいは自分の身内の保身に費やされます。人の悪口を言うことで仲間を作ったり、自分のイヤなことを回避するために自分の権利を主張します。ところが、そうすることで、人を責めることになります。責められた側は、イヤな気分になり、それがもとで、体調を崩される方もいます。

責める人たちも、また、体調を崩したり、病気になるのをたくさんみてきました。仕事がうまくいかなくなったり、家族に問題が出たりします。わたしは、だれに対しても、責めるのをおやめなさいと言っています。目の前にいるその人のために、責めない生きかたをお勧めしています。人さまを苦しめ、自分も苦しむ必要はありませんから。

しかし、責めることをやめる方は、まれです。自分が正しく、相手が誤っているから、と説明されます。自分が正しいふりをするために相手を責めていることもあります。

また、責める人は、じつは責められている人です。いじめは、いじめっこが、だれかをいじめることです。いじめっこが悪いとされることは、当然だとされます。ところが、いじめっこは、家族の中で、いじめられると感じていることが多いものです。

俯瞰すれば、ただちに理解できることなのですが、責める人は、責められていて、一方で責めようとするのです。世間の多くは、日常的に責めない人であり、責められもしません。わざわざ少数派の責める人になって、自分のパワーを無駄に使わないことをお勧めします。
posted by ほうとく at 16:25| Comment(0) | ・幸福 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする